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取材記事、エッセイ、小説。それぞれの書き方と結論について。

この交換ノート企画のお相手、マツオカミキさん(以下ミキティ)とは、季節ごとに一回、会って話をする。

私たちは、たぶん、根本的な価値観は似ているのだけど、その他の細々とした部分がことごとく違っていて、その同じところと違うところをずらりと並べてみて、「ああでもない、こうでもない、ああだね、こうだね」と語り合う。そんな時間を持てる相手がいるのは幸せなことだなあと、いつも思う。

ミキティも私も、お互いにたくさん質問をし合う。

彼女の質問は、私にとって思いがけないものが多くて、一年前の夏に「狩野さんの文章って、どうやって書いてるんですか?」と聞かれた時も、私は「どうって言われても…」と口ごもり、すぐに答えることができなかった。

それでも質問してくれたことが嬉しくて、言葉を探しながら「文章を書くというよりも先に、五感を使っている感じかな。目をこらしたり、耳をすませたり、肌触りを確認したり…。それで、とらえられたものを描写してる」と答えると、ミキティは笑って「おもしろいですね」と頷き、こんな説明でいいのかなと不安に思っていた私をホッとさせた。

今回のテーマを、最初、「取材記事、エッセイ、小説。それぞれの書き方」にしたのも、彼女からの質問がきっかけだ。ただ、「それぞれ、ちがいはありますか?」と聞かれて、「あるよあるある」とその時は思ったものの、改めて考えてみると、「あれ? あんまりないかも?」という気がしてきた。

あの時、苦しまぎれに答えた言葉は、案外、まとはずれではなかったようだ。よく考えると、取材記事も、エッセイも、小説も、頭や心を使うというよりは、もう少し感覚的なものを使って書いている気がする。遠くのものに目をこらすように。小さな音に耳をすませるように。暗闇の中に触れる何かの感触を確かめるように。

その対象が、取材記事の場合は、話を聞いた相手だったり、その場所だったり、そこに満ちていた空気だったりする。エッセイだったら、自分の過去や記憶や気持ち。小説は……、小説は、まだよくわからない。自分が何に、目や耳や全てを、傾けていたのか。わからないけど、わからない何かに挑むのが、すごく楽しかった。

さて。

だいたい書きたいことも書き終わり、そろそろ締めに向かおうかというこのあたり。このくらいになると、私はたいていソワソワし始める。文章のまとめを書くのが、とても苦手なのだ。

なぜ苦手なのか。

ひとつは、怖いから。結論は怖い。私は自分自身の結論を信じていない。これまで生きてきて、散々いろいろなものをひっくり返してきた。以前はとても大事だと思っていた人や物を、つまらないと切り捨てたことが、もう何度もある。だから、私はこれからも、いろいろなものをひっくり返し、切り捨てていくはずだ。必ず変わってしまうことを、結論として置くことは、とても怖い。

ふたつめは、大事だと思わないから。結論は、いつだって「とりあえず」のもので、それが今のところの最後の意見になるは、ただのタイミングの問題でしかなく、私にとって大事なのは、そこまでたどった道筋と、その「とりあえず」を足がかりに、また別の何かに向かって進むことだ。

こちらのnoteにも書いたけれど、私は、本当に、ただ書きたいから書いている。つまり、一目一目編むことが楽しくて編み棒を動かしているだけであって、それで結果的にマフラーやセーターが出来上がれば、それはそれで嬉しいけれど、それは全然目的ではない。だから、いきなり「あ、これマフラーにしよう!」と思って、最後の始末をしようとすると、途端にどうしたらいいかわからなくなってしまう。

それで、とりあえずそれっぽい何かを置いてみるけれど、やっぱりそれは「とりあえず」のもので、確かに私から生まれたものではあるけれど、「まだ途中だったのに。まだ編みたかったのに」という思いが、どうしても残ってしまうのだ。

でも、そうか、ミキティが言うように、「届けたい」と思って書けば、その届けたいものが結論になるんだな。私もそういう風に文章を書けば、こんな風に、終わり近くにさまよって言葉を重ねることもなくなるのかもしれない。それは、少し、うらやましい。

だけど、どう逆立ちしても、私には「伝えたいこと」がないんだよね。

だけど、この「伝えたいことがない」という結論も、「とりあえず」のものでしかないはずなんだ。

ここから先、私はどう進むんだろう?

✳︎マツオカ一言✳︎
狩野さんの文章の書き方、自分とあまりに違いすぎて衝撃的だった。狩野さんの世界の見え方を体験してみたいなぁ。同じ「書く」を仕事にしていても、やっていることは全然違って、それが最高におもしろいなって思っています。


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