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優しい女たちに幸あれ

昨夜も眠れず。自律神経がバグり散らかしております、こんばんは。
いよいよ生理前感が出てまいりまして、謎の不安感が生じています。と、書くと軽そうだけど結構壮大で、結構しんどい。普段蓋をしているようなイライラや過去の悲しみや後悔、そもそも存在していることについて等考えてもしかたないことが束になってやってくる感じ。それはそう、生理10日前だもの。身体が正確すぎて怖い。

今日は昼前に目が覚めてから何もする気が起きず。良い天気だなあ、行きつけの喫茶店にでも行こうかな、と思いながら、外にも出ずパソコンに向かっていた。外に出る理由が思い当たらなかった。ゲームをしたり、友人に依頼されたデザイン仕事を進めてみたり。

スマホを見ると本日の歩数は21歩。
なかなかな数字だったので友人に送り付けてみたら、ちょうど私の家付近を通りかかるから呑みに行こうとのお誘い。いそいそと寝起きそのままの顔面を加工して、出かけることにした。

今日の友人は幼馴染なのだけれど、幼少期は全く絡みがなかった。2クラスしかないというのに6年間1度も同じクラスにならなかった唯一の女である。田舎の小さな学校ではあったけど、彼女は私から見るとスクールカースト最上位にいる女子だった。
私は最下位、というか「優等生学級委員feat過保護母」という感じのおもんない奴であった。30歳の折に同窓会があり、その頃から付き合うようになった気がする。もうきっかけは覚えていないけれど、カーストなんてなんのその、この歳まで独身であったならみんなマブダチである。

この度交際相手と別れてひどい目にあったが、友人たちの支えが本当にありがたかった。今、わたしたちは絶妙なお年頃。これからもずっと一人で生きていくと覚悟を決めている人間はまだ少ないように思う。
やけに優しい、というと語弊があるけれど本当に優しさの限りをみんな尽くしてくれ、一緒に怒ってくれたり一緒に悲しんでくれたりそっと側にいてくれたりした。
今回に限らずみんなあまりに優しいから、私は時々彼女たちのことを、「優しい女たち。」と呼ぶ。私の友人たちは職業も暮らしも何もかも違うけれど、優しい女たちには共通点がある。彼女たちはあらゆることに至極真っ当で、自分の足ですっくと人生に立っている。私も含めて自分の足で立ちすぎているのかもしれない。

こんな優しい女たちが支えてくれるならこれからの人生も大丈夫かもしれない、そう思うとともに、いつか彼女たちも向こう側に行ってしまうのかもしれないという刹那感を感じずにはいられない。みんなきっと似たような気持ちを感じているはずだ。しらんけど。
今日も「ご飯を食べる人がいて良かったあー!」とお互い笑い合って別れた。本当に良かった。良い連休中日となった。

優しい女たちに幸あれ。


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