なぜ私が建設業界を変えたいのか?

今日は天気のいい日曜日です。

こんな日曜日はお出かけしたいところですが、
子供が体調不良なので。。。

さて、今日は、なぜ私が建設業界を変えたいのか?
を書いていこうと思います。

そもそも私が建設業を始めたのはなぜか?

正直話すと学生時代は建設業に全く興味なかったです。

親父が水道屋でしたが、正直何をやってるのかも
知らなかったです。自分勝手な息子でしたから。

ただ、毎日作業着を汚して帰ってきて、
お風呂に一緒に入って、疲れたーって言ってたのは
覚えてます。

当時、現場で職人兼現場監督だった父親は
心身共に大変だったことと思います。
今と違って環境はかなり劣悪だったでしょうし。

小さい頃は自宅が会社だったし、パイプやらユンボやら、水道資材が自宅に置いてあった。
当時は友達と落とし穴をユンボって掘ったりしてた
今では考えられないけど 笑

だから、建設業っていうかは、穴を掘ったり
スコップ使ったり、汚れたりすることは
体を動かすことが好きだった自分には
あっていた。

そんな私も高校から大学になるときに、
何を大学で学ぼうかな?って考えたんだけど。
特に何もやりたいことが見つからず。

とりあえずなんとなくで、やっぱり建設を学べる
大学に入った。

大学ではろくに勉強もしなくて、将来のことも
何一つ考えてなかった。

就職の時も結局なんとなくで建設業界に就職。

たまたまスーパーゼネコンに入れたけど、
入れた理由は、根性があるから、
死ぬこと以外はかすり傷的な
発言をしたから、
なんとなくこいつは
やめなさそうだなって思ってもらえただけだと思う。

さてここから、ようやく建設業界のスタートラインに立った私は、ゼネコンに入って
建設業の大変さを思い知ることになる。

新卒で私が配属された現場はトンネル工事の現場でした。

トンネルって機械で掘るんでしょ?簡単でしょ?って
思ってたんだけど、
私が配属された現場は、発破工法といって
ダイナマイトで爆破しながら掘り進めていく現場でした。

トンネル掘削の最前線はまさに生死をかけて
戦う男たちで、緊張感が張り詰めた現場でした。

山が悪いと掘削面が崩壊して生き埋めになる
可能性だってある。

職人は常に危険と隣り合わせだった。

そんな職人を自分は尊敬していたし、
常に同じ現場を共に進めてくれる仲間と思って接していた。

ゼネコンは辛いことも多かったが、
完成した時の喜びは本当にすごかった。
特にこの新卒で配属されたトンネルが
貫通した際の喜びは今でも忘れることはない。


トンネルの現場から次の現場に配属された。

次は宅地造成の現場。この現場も
壮絶だった。
とにかく私の中で大変だったし、
成長した現場でもあった。

この現場で1個だけ私が今でも職人さんから言われて嬉しださかったことを紹介する。

それは調整池のコンクリートを打設している時だった。コンクリートの生コンを運んでくる運転手さんから言われた一言だった。

軽部:◯◯さん!いつもお疲れ様です!

運転手さん:軽部さんは将来大物になるね!

軽部:えっ?何でですか?

運転手さん:だってゼネコンの監督って大体横柄な人が多いでしょ?俺らみたいな生コンの運転手の名前覚えてくれて、声かけてくれる人なんかいないからね。
いつも上からじゃなくて、同じ目線で接してくれるのはすごいと思うよ。

そんな会話だった。
でも自分からしたら、当時24歳のおれが
50代の職人さんに対して、
敬語を使うことも当然だし、挨拶をすることも当然、まして同じ目線で接すると言っても、
その人がいなかったら建物は出来上がらないんだから、そう考えて誰に対しても平等に接することは当然と思っていたし、今でもその考えは変わらない。

確かに先輩や同期とたまに会ったときに、
俺たちはスーパーゼネコンの監督なんだと威張り腐ってる人も中にはいた。

他のゼネコンの監督を見てもそんな人はいたし、
役所の人間でもいた。

当たり前のことが実は当たり前になっていない
世界なんだと実感した。

その頃、自分の中で、ゼネコンでのやりがいよりも
小さい仕事でもいいから、最初から最後まで自分で携わりたいという気持ちが芽生えてきたときだった。

ゼネコンの大きな仕事も楽しかったが、
やはりお金の権限や業者選定の権限も与えてもらうまでに、自分の能力不足もあったし
会社の中でのポジションをあげるには
まだまだ時間がかかると感じていた時期だった。

結婚をした時期でもあったし、自分の人生を変えるチャンスだとも思った。当時24歳。社会人経験は立ったの2年と4ヶ月目だった。

それでも自分にとってはめちゃくちゃ濃い2年4ヶ月だったし、今でもその時の経験は仕事に生きている。

そして、ゼネコンを退職し、地元の茨城県に戻ってきて親父の会社に就職した。

ゼネコンの監督から、地方の水道屋の監督になった。

ピラミッド的には業界の最上位から最下位の会社に転職した形だ。

説明すると、
ゼネコンの時は土木の施工管理をやっていたが、
親父の水道屋は、建築工事の分野の
建築配管の施工を担当する会社だった。

まずビックリしたのは、建築ゼネコンから圧倒的に立場が下に見られていることだった。

何をするにも建築工事が最優先である。
こちらが先に工事をしたら建築工事が
やりづらくなるという考えの元に
全ての工程が決まっていく。

極端に言えば
建築工事はやりやすくやらせろ。
水道工事はおれらには関係ない、
やりづらくても仕方ないから、
あとから勝手にやれ 
そんな感じだった。

もちろん水道工事は建築が進まないとできないことが多いし、順序立ててやることは必要なことだとはわかる。でも、それが理不尽な工程の場合がとても多かった。

例えば、水道配管で工程で1週間で終わらせてくれという話になっていた現場があったが、
いざ現場に行ってみると、
すでに天井配管をやるべきところが
ボードで塞がれていたりとか、そんな現場もあった。

一緒に現場を進めていくという協力していく立場であるはずの会社がその時ばかりは敵にしか見えなかった。

悔しくて現場から帰ってくる途中の車の中で泣いたこともあった。

現場の建築業者の職人からも、同じように
水道屋(設備屋)、電気屋はいつも邪魔もの扱いされた。

『こんなところに配管通すなよ、天井組むのに邪魔だろ』

『夜中まで作業してでも今日中に終わらせてね。明日からおれら人増やす予定ななったから。』

『設備屋の出したゴミは自分らで持ち帰れよ』

理不尽なことを言われたことをあげればキリがない。

その度に、絶対こいつら見返してやるといつも思っていた。

私が思うのは、立場が監督であれ職人であれ、
職種が建築であれ、設備であれ
元請であれ、下請けであれ、
誰が欠けてもいけないんだということ。

元請だから、下請けに対して、
横柄な態度をとっていいとか、
建築だから、立場の弱い設備屋、電気屋に
強い態度をとっていいとか
そんなことは一切ないと思うんです。

これいまだに改善されていません。

改善されないのであれば、
自分たちの会社から
それを始めればいいんだ、
そうしよう!と思ったのが、
私が総合建設業を目指したキッカケです。

このように、建設業界では
今でも当たり前のように
下請けイジメ、立場の弱い職種をイジメたり
そんなことが行われていることがあります。

今では意識が変わってきた人も多いかと思いますが、
いまだにそれはまだまだあるんです。

この前ビックリしたのは、現場に駐車するだけで
駐車代金を取られたことです。

安全協力会費という名目でもお金を取られ、
挙げ句の果てには、現場に車を駐車するだけでも
お金を取る。

お前らは、俺(ゼネコン)たちが仕事をとってこないと、仕事が取れねーやつらだろ?
仕事したけりゃ、金払えよって感じです。

大手ゼネコンだけではなく、
地方の工務店でもそんな感じの
会社はいまだにあります。

こんな理不尽な業界、職種に若手が入りたいと
思うはずがない。

建設業界のそんな嫌な部分を、全力で変えたいと思います。

働くみんなが、楽しく、平等に働ける、
そんな会社にしていきます。

というか絶対する!!

長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。


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