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善良なる瞬間に

2020年1月31日。

『ポンペイ最後の夜』って本があったけな、
なんて全然関係ないことを思いながら、函館に向かう。

しゃちょーこと、飯野智子支配人体制でのホテルショコラ函館の千秋楽に 立ち会うために。
  ※しゃちょー=飯野智子氏
  「Faith Up代表取締役社長」として出会った学園の先輩で、支配人を掛け持ちしていてもやっぱり「しゃちょー」と表記し呼ばせていただいてきた。

わたしが感傷的になる必要は、ほんとはまったくない。
でも、きっと勝手に感情移入して帰ることになるだろうと予想して出かけてきた。

トーキョー上空、ってやつ。

とはいえ、好天の真昼間のフライトがものすごーく久々だったので―― 東京の有様が、湾の輪郭が、あまりに晴れ晴れとくっきりと見えることにときめき、しっかり楽しんだ。

一方、到着したときの函館は、雪まじりの雨だったか。
東京とのあまりの落差もあって、なんだか突然落ち着かなくなる。
鼠色の海と空、函館山は全然見えない。

いつもどおりのたたずまいのショコラに到着。
いつもどおりチェックインをする。
スタッフのなごやかな雰囲気はいつもと変わらず、
飯野支配人の笑顔とゆったりとした空気感も同じ。

違うのは、宿泊者カードを書く必要がなかったということ。

「書いていただいても、あとはもう捨てるだけだから」

そうか、今日が最後の宿泊客をお迎えする日。

とはいえ、朝食を和食にするか洋食にするか、ひとしきり悩んで、いつもみたいに皆さんと笑いながらしゃべって決める。

そのあと、ひとりのスタッフが口にした、「まだ実感がないんですよ」というひとことに、たしかに「そうなんだよな、明日はチェックインのお客様がもういない」という現実を意識する。

夕刊を届けるおばちゃんが来たと、支配人が呼ばれる。

「明日は夕刊はもうないから」

ああ。

最後の朝刊は受け取るが、夕刊はもう不要。
チェックインするお客様がいないから。

配達のおばちゃんとはあたたかい挨拶が交わされたと想像する。
そういうつながりがいくつもいくつも見える。
顔と顔をあわせて、挨拶やお礼のことばをかわして、荷物や品物を受け取る――そういう和やかであたたかな日常があったことを、感じる。

一度部屋へ戻る。
窓からいつも見える函館山は、曇っていてまだ見えなかった。
急に落ち着かなくなる。
今日はショコラでのほんとうに最後の夜ということに。


夕方6時半から、2階のレストランフロアでCafe & Deli Marusenさんのケータリングで感謝会が始まる。
まさに三々五々、さまざまな顔が行きかう。
過去にスタッフだった懐かしい方々、
支配人が函館で信頼できるお取引をされている方々やここで新たに親交を深めた方々……。
ちょっとだけ挨拶に寄られたという方もあれば、なつかしさに嬌声をあげて語りの輪を作る人もいる。

その素晴らしいつながりを支配人は作ってきたのだ、と感じ入りながら、わたしたちはわたしたちの輪でおしゃべりを楽しませてもらう。

そうか、
ショコラを愛した人々の集まりは、
なんだか学年を超えた 大同窓会みたいだったんだな。

支配人はじめスタッフたちは結局、終始おもてなしに徹し、引きも切らないひとたちに挨拶をしながら、これまたいつもとかわらない快活さでフロアを行き来していた。

そうそう。
あらためて、この2週間ほど前に夫が宿泊したときに感動したことを、スタッフのAさん、Oさん、Nさんにはお伝えしておかなくては、と呼び止めてお話させていただいた。

彼は1月19日に泊まったのだが、この日に泊まるお客はほぼ全員、もうこれが最後のショコラ泊になると思われる。
スタッフにとっても、二度と会わないはずのお客たちである。
もちろん、「ホテルショコラ函館」自体はいったん休業、ということだから、その新生ショコラにくるお客もいるかもしれない。
ただ、このスタッフたちがいないだけのことだともいえる。

つまり、二度と会わないだろう客、自分たちがどう評価されようと関係のない客だから、変な話、ぞんざいに扱ったとしても関係ないし、どうだっていい、って思えてしまうスタッフだって、世の中にはいるかも。

しかし、ショコラのスタッフはいつもと違わなかった。
いつもどおりに快いお迎えを、おもてなしをしていた。
その変わらぬ姿勢に感動したという。

あたりまえのことかもしれない。
プロならば、あたりまえのことかもしれない。
ただ最近は、あたりまえのことがあたりまえでないことも増えてきただけに、ごくあたりまえのこととして変わらずに働いている姿に感動があったのだと思う。

職業柄、全国各地視察に行く夫は、さまざまなビジネスホテルに泊まっているが、「もう一度泊まりたい」と思うホテルはない、と言っている。
その中でショコラは、ものすごく利便性の高い立地ではないと思えるのに、ビジネスで使う客が一定数いる――そして、その中にリピーターもいるらしいことに驚く。
同感である。
それは間違いなく、この13年余りで築き上げられてきた価値である。


また、営繕という点でも、とてもよく管理されてきたなぁと感じている。
それこそ毎年必ず一度は利用させていただいてきたなかで、「行き届いていない」と感じたことがない。
限られた予算(だと勝手に思っている)の中で、実によく整えられていた。

どなたか、支配人のご友人で、「よくがんばって運営されている」と評された方がいたと聞いた記憶があるが――そのような意味だったのかどうか?

いずれにせよ、トラブルに見舞われたり、不具合が生じたことはこの間にいくつもあっただろうと思うが――3.11だってあった――丁寧に、こまやかに対応してきたことを、なぜか“知っている”気がしてならない。

具体的なことはもちろん知らない。
けれども、宿泊している中で感じとれるなにかがあったからかな。
かかっていた絵が変わったとか、洗面台のアメニティのセッティングとか、ちょっとした変化には――すこしの間でも居心地よく過ごしてもらう、というポリシーが感じられていた。

「小さなものに忠実なものは、大きなものにも忠実である」

だから、大きな管理にも手抜きはしていないと思う、と言ったのは夫ぎみのほうだったか。

感謝会ではだれもが楽しく明るく過ごしている。
こんなに屈託のない時間と空間は、そうそうめったにないのでは?

おひらき、お見送り。

なんとなくおひらきになり、お客様を順繰りにお見送りする支配人以下スタッフたちの動きを、ロビーフロアから吹き抜けになっている2階から眺めつづける。

――お別れ。

ここでの最後のお見送り。

「ありがとう」「おつかれさま」
幾度となく耳にしたこのふたつのことばには、心からの感謝とねぎらいがこめられていた。


そして。

「では、またよろしくお願いいたします」もある。

よろしくお願いいたします、は便利に使われるフレーズだろうけど、この日のこのことばは単に便利だからではない――と思える。

「ホテルショコラ函館」という場所がきっかけで生まれた"人のつながり”は、間違いなく次のステージに進むはずだから。

善良な人にはよいことが訪れることを、わたしは信じてやまない。
神様は知っている。
なにが正しく、だれが誠実で善良か。
必ず目をとめてくださっているから。


水を買いに1階に降り、部屋に戻ろうとエレベーターに乗るわたしを見送ってくれた(というか、わたしが水を取り落とすという粗相をしたから注目しちゃった)フロントのスタッフたち。
疲れもピークを過ぎていただろうに。親しみやすい笑顔はやっぱりいつもどおりだった。


ありがとう。


おやすみなさい。

※2日目の記録はこちら ↓↓

※2020年2月にFacebookノートにつづったものの再掲

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