DJ karyang エッセイ『セックスと昼寝』Chapter 50「梁山泊としてのぎょーざ会」

以前ここに藤沢でのDJイベント・ぎょーざ会の事を書いたので重複してしまうのですが、何故に今こうしてまた書き始めたのかというと、自分が藤沢を離れて1年が過ぎたという事と、ネットでたまたまトキワ荘のドキュメンタリーを見たからだ。

トキワ荘といえば言わずと知れた石ノ森章太郎や藤子不二雄、赤塚不二夫などを輩出した伝説的な「漫画家の梁山泊」と称されたアパートだ。

ああ、ぎょーざ会って自分にとってはそんな場所だったなぁって今更ながらに思った次第です。

ホントにもうトキワ荘と一緒で、藤沢の餃子家さんはただ単にDJイベントをやるハコという以上にみんなが出会った場所であり、イベントを離れたところでもよく集って呑み明かした遊び場でもあったなぁと。
DJ仲間が集まっても音楽の話なんて全くしないんですよ(笑)。もうひたすらバカ話ばっかしていてね。でもそれが楽しかったし、大事なコミュニケーションになっていた。
それと上下関係みたいなものはなかったですね。誘ってDJをさせていた僕の事をみんなは師匠とか先生とか呼んだりしていたけれど、自分の中にはそういう意識はありませんでした。もちろん誘った側としての責務は果たしていたとは思いますけどね。DJ経験はおろかイベントにすら行った事のない人たちばかりの集まりだったので、最低限のルールなんかは教える必要はあったんで。

ぎょーざ会は餃子家の閉店と共に無くなりましたが、それもトキワ荘と一緒です。いつかはたて壊される日はやってくるし、いつまでも四畳半には居られない。井の中の蛙もいつかは大海に出なくてはいけないと思うんです。その日がちょっと早く来たというだけでね。ぎょーざ会が無くなっても回したい人はしがみついてでも続けるでしょうし、やらない人はやらない。ただそれだけの事というか。ぎょーざ会が終わった時点で僕の責務も終わったのかなと。
でも ある意味 同じ釜の飯を食らった大切な仲間ですから、その友情が消える事はないと思います。

こないだもぎょーざ会の仲間からまた一緒にイベントをやろうと言われたんですよ。こうして餃子家から巣立っていった仲間に声を掛けてもらえてとても嬉しかったです。でも僕はそこで言いましたよ。「もしまた藤沢でみんなとイベントをやると言うんだったら喜んで参加させてもらうけど、ただ ぎょーざ会という言葉を使うのはやめよう」と。僕は過去に固執しない人なんで、そこにしがみつきたくはないんですね。みんなの思い入れが強いのは重々承知してはいるのですが、やっぱり ぎょーざ会は餃子家のものでしかないと思うし、やるんだったら是非とも新しいイベント名にしてくれと。ここでまた新たなスタートを切って始めた方がいいよと言ったんです。

僕は10年前に藤沢でDJを始めて今に至っているわけなのですが、過去に固執しないとはいえ こうして十数名の未経験のDJばかりを引き連れて藤沢の地で一緒にイベントができた事を誇りに思っていますよ。ちっちゃいけれど爪痕も残せたかなって(笑)。

で、最後にぎょーざ会の仲間たちに言いたい事があります。それは「現場に顔を出せよ」って。
DJって本来はただ単に自分が好きな曲を好きなように回せばそれでいいってもんじゃない。ぎょーざ会は別にそれでもよかったけれど。
そこには初見のDJさんなんかがいたりするし、聴いてくれるお客さんもいるし、場所を提供してくださるオーナーさんもいる…つまり人と人の繋がりでしかないんですよ。まず現場に顔を出して人間関係を築いていかない事には何にも始まらないんです。優れたDJさんは自分が回さない現場にもちゃんと顔を出していますもん。そういった事も現場を見ていないとわからないんです。現場には「気づき」がゴロゴロ転がっていますよ。

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