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ドラマ『フォールアウト』

退廃的かつレトロフューチャーな終末世界。ゴッツゴツの見た目をしたパワーアーマー。グロテスクなデザインのクリーチャー。それぞれの勢力が居住している施設の違いと使用されるテクノロジー。それらを見事に現出させたプロダクションデザインがまず素晴らしい!
それだけで私的にはほくほくなわけですよ。
もうね、こういうガチで作られたポストアポカリプスものならいくらあっても良いですね。ゲームが原作であることなんか抜きにして終末後の荒廃としたSF的風景が好きな方にならみんなに勧めたいくらい。
風刺が多く、時に悪趣味に感じるほど強烈な場面はあります。てかそういうどぎつい場面ばかりです。なのでその点では辟易する方もいるかもしれません。似た方向性の作品としては『ザ・ボーイズ』ですかね。あちらが「ヒーローもの」という素材を使ってエログロオンパレードのお話作りをすることで、ジャンルに隠されていた欺瞞を暴こうとしていたのに対して、こちらの『フォールアウト』はポストアポカリプスの世界を用いて、持つものと持たざるものの社会の違い、その境界線の崩壊が描かれていきます。

奇妙だ。いくらAmazonが巨額を投資して作ったにしても、いくらなんでも出来が良すぎる。こんな可笑しな世界で西部劇を行い、しかもパワーアーマーを着た奴らが暴れるなんて荒唐無稽な話なのにちゃんと面白いだなんて奇妙すぎる。
おそらくこれは異なる組織に属する者たちをそれぞれの立場から描いたことにより、”立体的に”この世界を魅せることに成功しているからだろう。『フォールアウト』に登場する主役三人は各々が別の立場にいる目的の異なる存在だ。災厄から逃れるための地下施設Vaultで生まれ育ったルーシー。災厄のあった200年前からミュータントとして生き続ける存在のグール。「鋼鉄の同志」と呼ばれる軍事組織B.O.S.の一員であるマキシマス。それぞれがそれぞれの旅を続け、時に交錯しながら話を紡ぐことで、ゲームをプレイしたことがない私でもちゃあんとこの世界の魅力は伝わってきた。

特にスーパーアーマーであるT-60に憧れているマキシマスの物語は次の展開が予想しづらく、どこへゆくとも分からぬままあれよあれよとすちゃらかな冒険をしていくことになり、これがまあ楽しい。騎士に憧れていた男が鎧で自身を覆い、身分を偽ることで、徐々に本当の騎士に近づくというストーリー。巨大なミュータントのサンショウウオとの取っ組み合い。困ったときは力任せに戦い、逆にパワーアーマーによって窮地に立たされる展開。やあ……良いですなあ(愉悦)。なんでもこのパワーアーマー、CGに頼らず実際に実物を作ったんだとか。あの異様な実在感はマジで実在していたからなんですね。すげえなあ。監督のジョナサン・ノーランはクリストファー・ノーランの弟なのですが、兄弟そろって実物で撮らなきゃ気が済まないんですかね。

対して、連れ去られた父親と再会するために世界を放浪することとなるルーシーのプロットはかなり分かりやすい。鋼鉄の殻に囲まれた世界以外を知らないルーシーが、地上の世界で様々な理不尽に遭遇し、徐々にそこへ順応していくという成長譚。人差し指をちょん切られたり、臓器収集ロボットに解剖されそうになったりと散々な目に遭い、そうしてサバイブしていきながらこの世界の非道さを学んでいくという構成は、マキシマスとはまた違う面白さがあります。彼女の口癖「よしやるか(okey dokey)」はアメリカの開拓精神とオープンワールドゲームの自由さを表しているようでもありました。

とはいえおそらく『フォールアウト』で一番人気のキャラになるのはグールだろうなあ。本作では、持つものと持たざるもの、知るものと知らないもの、そういった二項対立が各キャラクター間で用意され、世界の成り立ちと登場人物の魅力を際立たせていくわけですが、グールというキャラは200年前の、つまり現在のこの世界を知る存在なわけで、私たち視聴者とこの荒唐無稽で荒廃とした世界を「接続」させる役割を持っているのです。そういう点から見れば一番親近感を覚えるのは彼になるのかも。あと単純に彼の無慈悲な性格とかそのビジュアルに惹かれます。ミュータントかこいい。

この三人が絡み合うことでドラマがドライブしていく様は実に楽しく興味深い。なぜなら三人はそれぞれが思想の部分になにかしら「異質」な点があり、それら道徳規範の違いが作品のテーマである「境界線の崩壊」ともなっているから。

バイオレンスで悪趣味な描写はあります。人によっては気持ち悪さの方が勝ってしまうような場面もきっとあるでしょう。しかしユーモアをふんだんに用意することで下品な作品になることを回避していますし、対位法(凄惨な場面で優雅な音楽を流したりする技法)の使い方も上手いのでむしろその悪趣味さが魅力とも感じられました。さらに言えば、登場人物の常識をいまここにいる私たちとは微妙に異なるものにすることで、より本作の異世界感は顕著なものとなっています。こういった価値観の相対化ってSFの強みだとも思うのでワンダーな面白さがありましたね。

荒廃した地上の世界は過酷である反面大いなる自由があります。対して規律と隠蔽によって出来上がっているVaultはまるで檻の中のような閉塞感に包まれている。そのようにふたつの裏表となる勢力を描くことで、本作は共産主義に対する批判だけで無く、資本主義への批判も仕込んでいるようでした。
「古き良きアメリカの映画スター」であるグールをゾンビのような存在にしていたのは、映画産業の衰退とか、それでも生き続けるというメタファーのようにも感じましたし。

3つの織りなすドラマは最終話において綺麗に繋がり、より広い世界を見渡しながらシーズン1の幕となります。時系列を変えることで徐々に世界の謎とその歪さを知らしめていくミステリアスな構成も本作の見どころ。
というわけで、ゲーム原作のドラマとしては『THE LAST OF US』と並んで出色の出来だったと思います。いま「ポストアポカリプスものでおすすめある?」と聞かれたら、私はラスアスと並んでこれを推す。終末ものの醍醐味と、パワーアーマーの愉悦、それらを味わうにはいまマストな作品だから。




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