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はじめて読む『源氏物語 下』角田光代訳

角田光代訳『源氏物語』を読み終わりました。下巻は、光源氏の息子として育てられながらも、女三おんなさんみや柏木かしわぎの子でもある、かおる今上きんじょう帝と明石あかし中宮ちゅうぐうの子である、匂宮におうみや。このふたりを軸として進んでいきます。全体を通して不器用な登場人物が多く、上巻、中巻に比べると「心の通じなさ」「ちぐはぐな感情」「愚かさ」という面が強調されているように思いました。同時に、薫と匂宮ふたりの力関係が対等であるが故に生まれるドラマは、前巻までにはない展開を生み出しており、その”上手くいかない部分”にこそ下巻の面白さや独自性はあったように思います。

薫が想いを寄せた大君おおいぎみは、彼のアプローチの仕方が変(というか下手くそ)なため、気を病んでばかりだし、なかきみと想いを遂げられた匂宮は、釣った魚に餌はやらないとばかりにすぐ他の女性に目移りしてしまうし。主役として添えられているふたりは容姿端麗で生まれも役職も立派な割に、どうにもこうにも"下手くそ"な点が多く、「なんじゃこいつら」と思う場面が多くありました。
おそらくそれは、光源氏という存在が読者の中にいるというのもあって、どうしても彼と比べずにはいられない、というのもあるでしょう。下巻の中心となる「宇治十帖」を読んでいると、「光君ならもっと上手いことやっただろうなー」なんて思うことがよくあり、あんなにすちゃらかでダメな部分もあった男なのに、それがどうにも懐かしく思えてしまうのでした。

最後に登場する姫君、浮舟うきふねは、薫に「人形ひとがた」と呼ばれ、流されるように薫と匂宮のあいだをゆらゆらたゆたう存在です。そのため、これまで登場してきた姫君に比べ、確固たる個性というものが希薄であり、その分負わされる苦悩も非常に大きいものでした。そんな彼女を物語の最後に置いたのは何故なのか。浮舟は、最後に言い寄ってくる男たちすべてと縁を切り、ひとりで生きていくことを選択します。物語の幕切れは唐突で、まだ続きがあってもおかしくないような、浮舟や薫があの後どういった選択をして生きるのか考えずにはいられない、そんな終わり方をします。山崎ナオコーラ『ミライの源氏物語』では、浮舟と桐壺を同じ「受け身のヒロイン」として見ることで、最後に浮舟が「拒絶」をすることに意味があると書かれていた。角田光代のあとがきには、男に頼らず生きていく、自分自身を手に入れた女性である浮舟は、これまで登場した女性たちのひとつの到達点かもしれない、と書かれている。作者である紫式部はどんなことを考えてこの帖をラストに持ってきたのだろう。上記した捉え方はとても正しいように感じるけれど、それはいまの時代の文学観、倫理観に合わせて考えたものであって、必ずしも正解とは限らない。いま私がぼんやりと思うのは、過去の、光君がまだいた頃の帖をまた読みたいなということで、あの光輝いていた時代の物語をもう一度味わいたいなということだ。各帖に登場するそれぞれの登場人物に再会することで、今度は親しみを覚えながらまた新たな魅力を見つけられそうな気がする。『源氏物語』が長く愛される要因のひとつは、きっとそういうところにあるんじゃないだろうか。

『源氏物語』の作品の魅力を一言で言い表すのは難しい。感動的な物語、というよりも、人間の業を見つめた部分のあるお話で、かと言って、むやみやたらに難しいわけでもない。そもそも帖によって大きく色合いが変わるし、時代も主人公も、登場人物の心も移り変わっていくことから、一概に「ここがすばらしい」ということを説明するのは難しく、読む人によってどこに面白さを見出すかは変わるだろう。それはつまり、物語の豊かさ、文学の懐の深さ、人の心の複雑さが凝縮されていることも意味していて、変わりゆくものと変わらないものの、美しさを、そして儚さを知った気がします。
角田光代さんの訳文は平易で読みやすく、現代の小説と同じ「軽さ」がありながらも、作品の本質的な良さは失われていません。はじめて手に取った『源氏物語』が角田光代さんの訳でよかった。角田光代さんに感謝を。

ここまで読んでいただきありがとうございました。『源氏物語』を愛読する方にとっては見当はずれな感想や、読みの浅さを感じる部分もあったかとは思いますが、そんな拙い感想をあたたかく迎え入れてくれたおかげで最後まで感想を書くことができました。
いずれ他の訳文も読んでみたいなーとは思いますが、いまは1000年間愛読される本の読者の一員に加われた喜びにひたろうかと……。

さて、ここまでが下巻の感想です。
ここから下は恒例の、帖ごとに取ったメモをそのまま載せる怪文書感想となります。なんとなく書き始めたものだったのですが、自分の中できちんと咀嚼することにも繋がり、一文一文より丁寧に読まねば、という気つけみたいな役割にもなってくれました。なのでこれ結構おすすめですよ。でも意味のわからない文章の羅列になってる自信はありますので、やっぱり読み飛ばし推奨です。

なお、前回の記事はこちら。


【匂宮】

・光君が亡くなって数年後、登場人物もいくらか入れ替わってスタート。
・主役は中将の薫くんに。若いのに達観した性格。結構好きかも。
・新キャラ多数登場。そんないっぺんに紹介されても覚えらんないって!
・「中将は無愛想にならない程度に「神のます」などとうたう(P.18)」。やる気無さそう〜。冷めてるね薫くん。

【紅梅】

・てか今更だけど、この人たち、血縁的にずいぶん近しい人同士で恋愛してるよね。この時代の宮中ではそれが普通だったんだろうけど。
・匂宮は薫くんに比べて好色なご様子。デスノートのニアとメロみたいなもんか(違う)。

【竹河】

・冒頭に「これは女房たちが話してた内容で、だけど本当のことなのかなー?」みたいなことが書かれていているけれど、つまりこれって紫式部が伝聞っぽく合間の話を書いたってこと? それとも実際に誰かの二次創作ってこと? どなたか詳しい方詳細教えてください。ほとんど私信ですが。
・『源氏物語』に出てくる姫君の中で一番和歌が好きな人って誰なんだろう。私はなにげに近江ちゃんだと思うんだけど。
・あんまり内容が頭に入ってこなかった。お話というより出来事の箇条書きみたいな帖。ごめん式部。ごめん玉鬘ちゃん。



《『愛する源氏物語』の感想です》

源氏物語の関連書籍として併読しながら読んだ本。これすごく良い本でした。源氏物語に登場する「和歌」に焦点をあて、歌人である俵万智さんが読み解きを行うという内容で、ひとつひとつの和歌に込められた意味を丁寧に解説しつつ、お話の流れも一緒に追いかけてくれるので、物語の解像度が一気に上がります。本書を読んでいると和歌こそが『源氏物語』の要なのだと、そんな気持ちになってくる。いや、というか実際その通りなのだろう。『源氏物語』は登場人物の心情を推し量るしかない場面があるけれど、和歌には雄弁に光君や姫君たちの心情が表れていたのだということがよくわかる。そしてそのことを知ると、登場人物たちの印象そのものが大きく変わり、より人物像に厚みを感じるようになれた。六条御息所とか夕顔とか末摘花とか、この本を読んだおかげでより好きになれたくらいだもん。

興味深いなーと思ったのは和歌を書くのに使った「紙」に関する記述で、どんな「紙」を使って和歌を詠んだかも重要だったらしい。例えば、白い事務用の紙に書いた場合は生真面目な印象を与えたり、あるいは厚ぼったい実用的な紙を用いることで野暮ったさを演出したりと、用途によって変えることで趣を出す効果があったとのこと。平安時代の文化や、貴族社会におけるマナーとか気遣いがわかるとさらに別確度から人物の心情が見えてくるわけで、なるほどこりゃあ沼だなあと思う。
「和歌は心」。そのことを決して堅苦しくなく、楽し気に教えてくれる、とても頼りになる本でした。

【橋姫】

・薫くん、名前のとおりすごくいい香りがするらしい。ちょっと離れていてもわかるくらいに。能力者だ。
・大君に惹かれつつある薫くん。でも積極性はあんまり無いあたり光君とは違うなーと思う。
・つうか薫くんは柏木とか光君とか女三の宮とか、親のことを考えたり、懐かしむことほとんどないよね。出生について思い悩むことはあっても。

【椎本】

・みんなして別荘に行き、一日中、碁をしたりすごろくをしたりして過ごしてるシーンから始まった。いいなあ、うらやましい。
・八の宮が娘たちに「私が死んでも、なるべく目立たないようにじっと引きこもって山里を離れるな」という遺言を遺していて、そんなん娘たちの勝手やろと。
・八の宮は薫くんのこと気に入っていて娘たちの婿にしたいとおもってたけど、その件についてはどうなってんの? 上で言ってることと矛盾してんじゃん八の宮。
・大君にアプローチする薫くん。なんというかふたりともつつましい性格だなあと感じる。光君に比べてだけど。

総角あげまき

・薫も大君もややこしく考えすぎなところあるね。ある意味似た者同士。
・匂宮と薫君の優美な姿を見てうろたえちゃう山賊やまがつさんたちがなんかかわいい。
・大君は立場とかいろいろあるんだろうけど、気分悪くなるくらい考えるのは精神的にも良くないから、もう少し気楽に生きてほしい。
・と思ったら大君亡くなっちゃった……。あ、あっけない。なんというかずっと思い悩んでばかりで不憫な姫君だったな。

早蕨さわらび

・匂宮が薫くんのこと励ましてる。いい奴じゃん。
・陰陽博士。レアな職業の人出てきた。調べたら「陰陽道を教授する人」のことらしい。しかも定員は1名。思った以上にすごい人だった。

【宿木】

・そういえば光君が亡くなって以降、草子地(作者の声)少なってる気がする。あれ好きなのにな。
・【悲報】薫、大君だけでなく中の君も泣かす。ダメだこりゃ。
・うあー、なんか三角関係になってドロドロしてきたあ。でも和歌で夫婦喧嘩する匂宮と中の君がちょっと微笑ましい。
・「藤壺の女御」という名前の人が出てきたけど、光君の母親とは別の人だよね? ややこしい……。
・浮舟を見た薫くんが「髪の生え際とか大君そっくり」って言ってるけど、意外なとこ見てんなあと。

【東屋】

・大君と中の君の妹にあたる姫君(浮舟)登場。そして彼女をすぐ見つける匂宮。こいつも能力者みたいなとこあるな。
・「(中の君は)たいそう髪が多いので(P.365)」この時代の姫君ってみんなすごい長髪のイメージだけど、どれくらい長かったんだろ。切るときは何センチ以上切っちゃダメとか決まりがあったのかな。
伊賀姥いがたうめ(人を化かす狐のような仲人のこと)。
・弁さん(弁の尼)何かと頼りになるな。
・薫は浮舟のことを大君の代わりとしてしか見てないよな、今んとこ。先が思いやられる。

【浮舟】

・うおーい、匂宮が浮舟を寝取ろうとしてる。親友の奥さんやぞ。つうか薫は薫で浮舟のこと放っとくなよ。
・「夜はただ、明けに明けていく(p.403)」この一行で男女の契りを説明してるわけか。『源氏物語』って男女が契りを交わす直接的なシーンを描かず、事前と事後を示すにとどめるパターンが多いから、「えっ、いつの間に!?」となることが割とよくあるんだよなあ。
・うつくしい男女がいっしょに添い寝している絵を描く匂宮。浮舟にその絵を見せながら「いつもこうしていたいのに」と言うと、浮舟は感動して涙を流す。というシーンがあるのだけど、想像したら笑ってしまった。なんていうか求愛の方法が斜め上すぎて。
・薫、匂宮、浮舟の3人がわちゃわちゃしてる帖だった。中の宮どこいったん。

【蜻蛉】

・浮舟ーーッ
・「狐のようなものにさらわれたのか(P.461)」神隠しの原因ってきつねのせいにされることもあったんだ。へ〜。
・薫と匂宮と大君と中君と浮舟がごちゃごちゃするのがメインの話となる「宇治十帖」だけど、みんな不幸にしかなってないような(特に姫君たちが)。もっと明るい話もくれ。

【手習】

・そんな狐を邪険に扱わなくても。もう少し狐を愛でてあげてください……。
・浮舟生きとったんかワレー
・碁に自信のある少将の尼をいとも簡単に倒し圧倒的な強さを見せる浮舟。急に囲碁対決が始まってほっこり。この部分好きだから誰かスピンオフ書いて。タイトルは『棋聖浮舟』で。
・中将……もう試合は終了してるからあきらめて帰れ。

夢浮橋ゆめのうきはし

・小さな男の子に手紙を渡し、仲介を頼む。遠いむかし光君も同じようなことをやってたな。
拒絶ーー
・あっさり終わった。でもこれまで何度もこういう締め方は見てきたからもう慣れっこだもんねー。桐壺という女性から源氏物語は始まったのだと考えると、ただただ流されるだけだった浮舟が薫のことを拒絶して終わるのは、物語の哀しい雰囲気に反して、とても解放感があるようにも思う。
・「と、もとの本には書かれているそうですよ(P.589)」最後に草子地きた。『源氏物語』を書いてくれてありがとう式部。




追記

最後の記事まで、相互のたけうちさんが感想を書いてくださいました。いやはやご面倒をおかけしまして……。

『源氏物語』に対する高い解像度と深い愛を感じる内容の返歌記事です。そして毎回感動してしまうのは、どんな感想でも受け入れてくれる度量のデカさ。ここまで気持ちよく楽しい気分で源氏物語を読めたのは、たけうちさんの記事があったればこそです。本当にありがとうございました。やはりドラクエは源氏物語の影響下にある……! 私の"光君メモ"を読んでくださった方にとって納得感のある回答が楽し気に綴られてますのでぜひご覧ください。本記事やたけうちさんの記事を読んだ方が少しでも『源氏物語』に興味を持ち、本を読むきっかけとなればさいわいです。

結論としてはあれですね、いきなり原文に挑戦するのは無理があると。




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