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あなたが被害者にならないために。本当のインターネットの使用説明書

今回は男女問わず気をつけてほしい、ネット情報の扱い方です。といっても難しい用語も専門的な話もするつもりはありません。ただ、私が実際に誹謗中傷を受ける側で、しかも住所や名前もネット上で晒された経験があるので、今回は『ネットを見抜く力』についてお話します。

ネットにプロフェッショナルは存在しない

たとえ非常に優秀なエンジニアが様々な動画や画像をネット上にアップしても、あなたはそれを実際にその場で手に触れることも、あるいは体験することも出来ません。この意味ではインターネットとテレビは全く同じなのです。

であるなら、私達はなぜネット情報やSNSに興味をそそられるのでしょうか?それは非常に簡単なことで、私達には想像力があるからです。実際、テレビよりもインターネット情報の方が時間的に制約があり、また演出においてもテレビほど豪華には出来ません。したがって、インターネットとは、映像と文字だけでしか原則、情報を伝えられないのです。

テレビのような現地同時取材や、記者団も存在しない。つまり、多くの報道の素人が発信しているだけなので、情報として足りてないのです。

実際、私が炎上した時や猛批判や誹謗中傷が殺到したときも、真実とはまるで違った”私像”が作られ、中には実際に直接会ったりしましたが、どうみても情報エンジニアやIT技術に精通した人では無かったですね。

こういった一部の情報の一片をどこかで見ただけで、膨大な情報網が構築できる点では、インターネットは確かに脅威です。しかし、それ故、現実からネットに情報を持ち込めるが、ネットから現実に近い事を取り出すのは至難の技で、専門的な技術がない限りは、普通の人では無理な話です。

家を一度も建築したことがない建築家は普通ですよね?建築家が鉋やのこぎりを使って実際に家を組み立てることはありません。ですが、私達は建築家と聞けば、住宅の専門家のように感じてしまいます。

インターネットも同じで、あらゆる分野の専門家や発信源が多いからといっても、インターネットへ投稿する人は、インターネットを構成する一人であって、情報そのものではありません。

この投稿だって、他からの情報の必要が無い、私の実体験から経験した手段の一つですから、単なる一つの意見、つまり膨大な情報の中の、ほんの小さな粒でしか無い。問題は、これを真実かのように扱うところが、想像の力の凄さなのです。

検索しないで過ごしておく

今回の結論は意外に感じるかもしれませんね。私は、インテーネット情報では、『わからないことは、わからないままにしておく』というのが、極めて正しい付き合い方だと思っています。話題が多くてそれが問題であるなら、テレビなどの公共電波に乗るでしょうし、取材も行われるので、いずれは明るみになるでしょうし、自分にとって関わりが深くないのなら、ずっとわかるまでは無関心でいるのも良いでしょう。

実際私がネット上で誹謗中傷されたときも、かなり酷いコメントもあったようですが、それを閲覧しても一度のみです。つまり、私から同じ情報を探しませんし、他人から『えらい言われようだね』と”告げ口”されたら、『君はそんなことに関心あるんだなー』と、逆にツッコミを入れるくらいでした。

ものすごい誹謗中傷がネット上にあったとしても、『私が検索しない』という態度であれば、私の周りには誰も居ないのと同じです。こうしてしばらく平穏と過ごしていたある日に、ふと自分の名前を検索してみたところ、何度やっても上位に来るのは私のフェイスブックのページでした。

あれだけお祭り騒ぎだったのに、今やノイズすら無いのです。これに1年もかかりませんでしたね。検索しないだけで、騒動は無くなったのです。これは非常に面白い現象でした。結局、騒いでいた連中は、私のリアクションが欲しかっただけのようです。音沙汰が無ければ、そりゃ居なくなるってもんですよね。恐らく彼らたちの想像とは違っていたのでしょう。

インターネットでは罪をカンタンに作れてしまう

対面で人を騙すためには技術がいりますが、言葉や文字だけなら、誰でも出来、しかも安上がりでカンタンです。したがって、リアルな詐欺よりもネット詐欺の方が巷には膨大に多いです。カンタンに人を信じてしまうのではなく、人は『自分が見たものを信じやすい』というところが悪用されてしまうんですね。実際にネットで見たんだし、実際に見た人が言ってるんだから・・・・でも、あなたはまだ実際には知らないし、見てもいない。

ここに、ネット情報に騙されやすい本質があります。『見た』、『聞いた』、『言っていた』の3つが揃えば人はそれを本当だと信じやすいのです。道理でマジック芸人がモテるはずですよね。

インターネットの真実は『見たかもしれない』、『聞いたかも知れない』、『言っていたかも知れない』という想像が、閲覧した人の頭の中で補完され、『見た』、『聞いた』、『言っていた』になります。キー局の報道番組さえ”編集と演出”があるのですから、コメンテーターの『~だろうと思います』という補完が頻繁に行われているものです。

この各社一斉に同じ報道、同じ批判が繰り返される様子も、ネット上での炎上騒ぎや誹謗中傷も、本質は全く同じです。足りないところは無関係な人が想像で補っているに過ぎないということです。

どこかで犯罪が現実に起こるのと全く似ていて、想像力を働かせて勝手に暴走するする点では、ネット上の犯罪は同質なものです。しかもこれを食い止める事ができない点では、ネットの方が現実より質が悪いです。

世論は皆が一斉に発信しない限り、それは真実ではないのですから、私一人がその世論に加わっていない限り、私に関係すると思われている情報は、全て曖昧で不確かと言えます。騙されていませんか?あなたも世の中に。

騙される方も犯罪に加担しているということ

ネット情報を鵜呑する人とは関わらない事も必要ですし、そういった情報源を調べたり、食い止めることはあなたには出来ないのだから、世の中が犯罪に染まっている中では、あなたが世論に加わる必要はないといえます。

私は自分があられもない誹謗中傷を受けた時、『まぁ世の中の人間の大半は何も知らないでバカでマヌケなんだな』と、笑いながら受け取りましたけどね。そういう世論に付き合ってもバカバカしいじゃないですか?




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