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後期高齢者と一緒に数十年暮らしてよくわかったこと

私が30代後半から親と同居を始めたのは失業からですが、それから復職して身体を壊し、長い休養から最近ようやく社会復帰として、少しづつ自宅での仕事を増やしています。一人暮らしが20年以上であるがゆえに、親と同居は必要に迫られた選択肢ではあったのですが、今振り返ればデメリットよりもメリットが多いという意識になっています。それは少なからず、客観的に”大人の行動”をよくよく観察する事ができたこと、後期高齢者の生活は、現代人の老若男女共通の人の終末は、想像とは全く違う意味で、あらゆることの結果に過ぎないとよくわかったことですね。

・自分中心ではなく、過去に生きている


高齢者はワガママで自己中心、年下にはマウントを取りたがり、人に譲らず、年齢が上というだけで尊大になるのは、他人によりも親族の方が割合が高いです。自宅近所には高齢者も良く会うのですが、やはり常識人で話が噛み合わないという経験はありません。ただしこれには、条件があって、老後一人暮らしとなった女性の場合に限って、交流、活動も幅広く、70歳でも仕事をしている方も存在します。

しかし、自宅で悠々自適の生活をしている老夫婦世帯は、対象的に孤立化が急速に進んでいるという特徴があり、更に歳が進んで、一人になった男性は、趣味や楽しみが今まであったとしても、それは他人や家族に対して自分のアイデンティティを示すためで、そうした活発な活動は、独居になった後の10年以内に、ほぼ誰も積極的にやらなくなります。

ここから過去、つまり経験だけが自分の生きる糧であり、他人と接する場合は、この経験との共感、あるいは同意や他人へ納得して欲しいといった、今ある感性とは逆行した特異な自己回帰へと意識が変わっていきます。これがあたかも自己中心に見えますが、それは認識の誤解で、高齢者はそれが正しいと主張しているのではなく、外部の新しい刺激に対し、それに対処できる経験は。自分の過去以外に参考するものがないということが要因となっています。

・必死にやり甲斐を探して失敗


高齢者のテレビ視聴はほとんど場合、暇を持て余しているせいか、他者の制作したコンテンツを楽しむ事に、リアルな今に生きている実感を感じる唯一の手段になっています。それ故、彼らの視聴時間は大変長く、我が家でも平均で1日6時間、2時間もの間集中して視聴しても平気です。その集中の仕方が異様に見えるのは、一つは社会活動から切り離され、あまり他人との接点がないゆえに、手段が無いから他人を番組を通じて疑似体験をすることで、本来の現実から意識を逸して、敢えてリアルを見ないことで、バーチャルリアル体験を感じている様に見えます。

一方でこれは現代の中高年にも、同じことが言えます。彼らも、共通の話題、共感、協調して貰う対象としては、似通った感性に対しては柔軟でも、年下に意識的な興味や関心を持たない場合がほとんどだからです。つまり今の高齢者のマウンティング・ポーズと、中高年の経験者風情は、極めて同じと言えることだと。

この”違った感性を楽しめない”という特徴は、一方で極端に感情を高揚させて口論になることもないし、たしかに居心地は良いのですが、溜め込んだ不安や不満は、どんどん蓄積し、更に現実から逃避するように、いずれはなるでしょう。

やり甲斐というのは、困難がそこに介在しても、なお未来を感じるから出来ることで、実際は想像よりも苦痛の方が多いものです。繰り返し失敗しても、それをクリアし、現状とは違う未来を作るのが生き方としては老人と呼ばれない考え方でもあります。しかし、同性代とそれに近い年齢の人達を見ていると、相変わらず表現や立場、利己を中心とした疑似客観視、つまり結局は経験則から逸脱できない、変わらず同じことの繰り返しに終始しているわけです。つまり、すでに晩年の素養が構築され、凝り固まっているのは確かでしょう。

こういった事は、一般的な生活スタイルをしていない私だからよく分かることなのかもしれません。しかしながら、そういった私を異端児的に見る動きも、中高年や高齢者の特徴なのです。すでに誰とでも分け隔てなく受け入れる姿勢に欠いているのですね。私は意識的に外出でも、中高年、高齢者とは距離を置き、ずっと年齢の若い人と話す機会を設けています。そこでは立場や経験は無用の長物で、ごく普通の今の話題を話すことが普通に出来るからでしょう。そうした中での方が、双方、色々学べることは多いものです。

これは若い人に迎合しろという意味ではありません。私は若い時に感じた不公平感、不服、不都合といった理不尽を感じ、今もその感情を持ちながらも、感情としては左右されることもなく、むしろ合った方が前向きになれると思っています。それが「今を生きている」という意味だと思うわけです。中高年、高齢者が得意げに使いたがる”一生勉強だ”というセリフも、「なんて安っぽい言葉だろうね」と冷ややかです。

勉強中の人間が、偉そうにふんぞり返って教室に来るバカほど、物事をよくわかっていないでしょう。

年齢なんて些末な問題です。

また後期高齢者観察で新しい発見があったら、ここでご報告いたします。

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