同じWEBライターとして、日本の”仕事”を改めて考えてみよう。君は収監されるか?それとも常識の奴隷か?


上記の記事をシェアしたのは、何も私が同じいわゆるWEBライターだからというわけではありません。私がWEBライターとして、WEBコンテンツを外注によって受注をし、仕事を始めたのが2004年ですから、まぁ今年でようやく16年は経過したわけですね。ただ、私にとって仕事とは、手段の一つであって、大した問題じゃないと思っているので、取り上げてみたかったということです。

WEBライターを始めた当時は副業というか、興味本位で、「ネットで仕事」というのに興味があり、またITバブル前夜だったので、親を説得して購入した数十万のパソコン・ネット環境を通して、”新しい価値観”に触れるであろう、興奮を覚えたのを記憶しています。

それから、30代から40代にかけて、様々な業界でITをきっかけに一つの終焉という会社の実態を通じ、正直言って私にとっての「価値ある仕事」は、1990年代にすでに終わっていたのだと、まぁ不景気の中でいろんな業態の悪態をまざまざみてきたわけです。一応の成果も自分で掴み取れた経験があったから、そうとも言えるかもしれませんが、まぁ今の社会は成果が目に見えてわかる時代じゃないのは、多くの人が共感できるのではないでしょうか?

中でも悪習というか、良くない傾向と見えるのは、現在のネットと競合した企業価値の在り方でして、いつの間にか、リサーチだの、理論だの、口先ばかりで実力のない経営が幅を効かせていると感じているこの頃です。要するに結果を求めているくせに、理想論ばかりで挑戦がないという点では、皆、烏合の衆と呼べるものです。目標はあるが、超超短期的ですからね。

さて、そうした中で、私は結果としてリアルな企業マンとか、会社員、派遣社員すら拒否し、「くだらん仕事は今後一切は興味も関心もない」と、ほぼ無職のままで、労働保険と解約金だけでしばらく生存し、以降は気まぐれに記事を書いてなんとか生きる道に入って既に10年以上です。

まぁそれなりに料理も出来るし、服も自分で作れる技術があるし、特に買い物の必然性は、私にとっては素材を得る手段しか無く、一般的な物欲すら今は失ってますが、それだけに、会社に所属していた時分には、物欲もそれなりにあったのでしょうね。だからこそ今は自分で似たようなモノを作れると、「世の中結構いい加減に出来ているものだな」と、理解できるわけでして。WEBライターを通じて、世の中の製品やサービスの中身がよくわかったせいも強いですが、まぁホント、世の中、テキトー過ぎます。嘘半分くらいで見ておく方が無難でしょう。

さて、何が今回、言いたいか?ですが、新型コロナの影響下において、既存の社会システムはもはや大戦前の大恐慌と同じで、人間がやれる能力というのはそれほど常に高くはないのが現実ということになってます。つまり、そもそも、既存の社会システムは、自分の理想を追うのではなく、このシステムを上手に利用した上で生き残る手段を得るのが正しいのである、そういうことでしょうね。ですから、そのシステム依存度が高い人ほど被害も大きくなってるのです。

今の社会システムが信用に足るとは、まぁ私から言わせてもらえば相当なアホだなと。

逆を言えば、自分にとってさして必要も需要も無い社会システムなら、参加する意味も無いのであり、自分が必要とする時のみ、この社会と接点を設けていればいいとなるのです。実際、私は近所に食材屋と生地が手に入る店と100円ショップさえあれば、間違いなく今の社会にある物品の多くは、調達しなくても自分で作ることが可能で、他人のサービスは一切の必要を感じません。なんなら、パソコンやネット環境もタダで借りられる代わりに、毎週記事を書けと言われたら、少ない報酬でも満足すると思います。

ただ、なんとなく参考程度に触れる機会は欲しいですが、購入するために給与(無益な労働)が必要とまで価値があるとは思えませんね。それくらい、巷は嘘と騙しでクルクル回ってるんですよ。これホントです。

メディアが不安を煽り、その代わりに安心材料を手に入れる”有償サービス”を宣伝する今の社会。その支払をするために必死に過剰な労働をしながら、自分の将来の夢を見る・・・・まぁ馬鹿げてますね。そういうのを「奴隷」というのですよ。

安心材料を手に入れるために必死に有償サービスに奉仕しながら生きて幸福になれるはずはありません。

そういった未練を作り出しているのが、人のステイタスとか、一種の上昇志向という病気であり、「楽しくないことはするべきでない」というのが、私の転職後のスタンスです。従って、いち早く治療を開始するべきです。

なので、WEBライターの私にとってのクリエイトとは、”如何に私生活を自由に楽しむか?”であり、他人や会社にタダでくれてやるものではないということになってます。かっこいい服、美味い飯は自分のために自分で作ればいい。そのために「お前らは私にとって一切必要ない」と私は世間に言えてしまう。実際、買う必要がないのですから当然です。

生きるのに他人の評価よりも、自分の裁量が常に最上位に位置しているからこそ、価値のない仕事が増えるなら離脱すれば良く、また無理して合わせて苦労するのは努力でなく暴走だ。私生活を自由に楽しめる手段は、その時代ごとに変化していく。君は変われないとダメだ。

私は現在、56歳を目標に髪を伸ばし続けています。今でもかなりのストレートロング。折れ曲がった毛先や、ケアを通して自分なりの理想のヘアスタイル(スーパーロングヘア)に徐々に近づいていますが、当然これは美容師の手柄ではありません。これから2年後、久しぶりに会うかもしれない知人はかなり驚くでしょうね。私のスタイル(体脂肪・体重・体格)は、20代と全く同じです。

社会から離れ、自分らしい生き方を模索する中で、私は自然にアンチエイジングをやってるのと同じになったわけで。

今までの全ての知識と経験と失敗を通じて、それを自分の髪に活かすために年間を通じて手入れをした結果に過ぎませんが、これこそが、自分自身を知り、また私の本質な体質を好きになれる結果を得られた。私はその意味では、パーフェクトであると敢えて言ってしまいましょう。この髪を犠牲にしてまで、欲しい物など、私には無いのですから。

私は自分の幸福をタダでは人にやらない。

現在の巷の仕事は単なる出来レースで、皆必死に、互いに奉仕をしながら夢を見ているにすぎず、それは本来の幸福からはかけ離れているものだ。

投資先を間違えると、結果は常に好転しない。なによりそれは誰も幸福に導いてはくれない。

今回は以上ですな。





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