聴覚障がい者はどうして助詞の習得が難しい?

○助詞の性質とは?

『机「の」上「に」本「が」あります』

机と本の“位置関係”を示す文章。
モノ同士の“位置関係“を示せられるのなら、
ヒト同士の“位置関係”をも示せることになりますね。

『わたし「が」行きます』
『わたし「は」行きます』

単なる物理的な位置関係だけでなく、
あらゆるヒトがいる中でのキモチの動きも
関連づけられているような気がするのです。

前者は、誰もが(例えば先生のところに報告に)行くのを渋っている状況下、勇気を振り絞っての発言とも取れるわけですね。
うーん、鋭いイメージでしょうか。

後者は、例えば、いじめっ子が入院したものの、そのお見舞いに“私”以外は行かない(行きたくない)ことが分かっている状況で、確固たる意志のもと、お見舞いに行く、という(硬いながらも)円いイメージでしょうか。

助詞なんて、単なるオマケだろう。
単語の意味さえ分かっていればナントカなる。と侮っていた中高生時代、国語の問題に四苦八苦したものです笑

単語(私)と単語(行く)がもつ“情緒的な関係性”をつまびらかにしてくれるのが“助詞”の性質なのでは、と個人的に解釈してみました。

○どうして聴覚障がい者は助詞の習得が難しい?

えてして、
健聴者は聴覚的な認知範囲が360度だし、
常に日本語のシャワーを浴びてるのだから、
自然に習得できるけれど、
聴覚障がい者は聴こえない分、
習得が遅れるのではないか?との
解釈がなされます。
それももちろん、一理あると思いますが、
机上の訓練(例えば本の書き写し等)でもってしても、なかなか身につかないことも
よくあるんですね。

どうしてか、自分を例に考えてみました。

…個人的に本の内容がしっくり?くるようになったのは大学2年くらいからなんですね。(遅

どんな時期だっけ…と思いをはせると、
心ある大学の同期友人との付き合いが深まり始めたり、手話の飲み会企画を担当して、手話ができる参加者との交流が増えたり、きこえない子どもの塾の講師を始めて、子どもたちとのふれあいが増え始めた時期でした。

それらに共通するのは、、
【他者との(深い)関係づくり】であることに気づきました。

中高生時代、友人はいたものの、大学以降ほど深い話ができる・ケンカができる相手はさほど居ませんでした…。

つまり、うわべだけの関係で、ヒトとキモチを通わせる機会が少なく、情緒が十二分に育たなかった。だから、対人関係下の状況や情緒に深く関係する“助詞”のホントウの意味を理解できず、単語の意味はわかるはずなのに、どうして文(全体像)が読め(掴め)ないんや…という状況に陥っていたのかもしれません。

◎手話cafésalonのススメ

実は、5年ほど前から、知人の勧めも手伝って、手話cafésalonを開きました。
(1年継続、2年のブランクを経て、現在3年目に差しかかろうとしています)

当初の目的としては、会場近くでの手話イベント開催にあたって、障がいの有無関係なく、少しでも足を運びやすくして頂ける&手話に対してとっつきやすいイメージを持ってもらおうという想いがありました。

しかし、続けていくうちに、手話caféに足繁く通っては、手話ができるきこえる方とコミュニケーションをとっていた、とある聴覚障がい者に変化が現れ始めました。よりコミュニケーション力が増してきたように思えたのです。単語力うんぬんではなく、会話のテンポを少しずつ意識し始めているように見受けられました。
他の効能も相まってのことかもしれませんが…。

また、自身としても、企画を担当する、つまり広告・交渉・対話…といったコトバを活かすポジションに就いたことで、自らが発したコトバに対する種々の反応を通して、自身の情緒が深まってきたように感ぜられました。「が」と「は」といった1文字ですら、相手の反応も異なってくるくらいですから、言葉選びにも敏感にならざるを得ず、それがまた愉しいのですよ。笑

そこから、他人のコトバ(助詞も!)の使い回しに感嘆させられる日々が続くようになりました。マンガしか読まなかった昔の自分からは、ここまでコトバに取り込まれるとは想像だにしませんでしたわ…。

手話cafésalonのススメ。

『手話cafésalonへの参加のススメ』

『手話cafésalonといったような“共通言語下のコミュニティづくり”のススメ』

二重の意味をはらませていたことを、
最後にご説明させていただきます笑

他人とのキモチの交流で、
助詞をも制せん!

ありがとうございます。

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