はたらきたければ、はたらけばいいじゃないか。

 はたらくことは不自由だろうか

はたらくことがつらい」と訴える声をよく耳にする。ニュース番組や新聞などのマスメディアでいわゆる「ブラック企業」の問題は頻繁に取り上げられるし、Twitterなどのソーシャルメディアの中でも、はたらいているせいで生活が苦しいとたくさんの人が投稿して、多くの人が共感を示している。

実際のところ、大半の仕事でははたらくために大きな労力が費やされていると思う。1日に8時間以上勤務したり、1日の残りの時間は、自分のやりたいことがあるのに、通勤時間で無くなったり。仕事を続けるために苦手な人との関係を我慢しなければいけないこともある。はたらいていなければ、自分の嫌なことを続けなくてよかっただろうし、自分のやりたいこともできるはずなのに

嫌々ながらはたらき続けている人もいるだろう。というか、はたらくことがつらいと言う人の大半はつらい仕事を耐えて生活しているのではないか。本当ははたらきたくないけど、お金を稼がないと生きられないので、あるいは就職していないと生きられないので、はたらき続ける。はたらくことは、自分のしたくないことを強いられることで、不自由なことなんじゃないか。 

かく言う私自身が、はたらくことは不自由だと思っていた人間だった。私は本当なら、哲学の本を読み漁って、それからじっくり時間をかけて自作の小説を書き上げたかった。他にもアニメとかギターとか絵とかドールとか料理とか自転車とか色々あった趣味をやりたかった。けれど生きていくために、起きている時間の大半は仕事して稼がないといけない。そんな訳で嫌々ながら仕事を転々として、手っ取り早く稼げる自動車工場に行ったりもした。

工場で働いて気付いたこと

自動車工場というのはとても大きな仕事場で、沢山の人がはたらいている。また、よく知られているように自動車工場の仕事は危険が隣り合わせで、身体的にきついものだ。私は嫌々はたらく人間なので、そんなきつい仕事は短期間だけはたらいて早くやめようと思っていた。それに、きつい仕事だから工場にいる他の人もすぐにやめていくだろうと思っていた。

工場の仕事自体はたしかにきつかった。私と同じように、短期間だけはたらいて仕事するのがほとほと嫌になってやめていく人たちも沢山いた。ところが反対に、きつい仕事でも長くはたらいている人が沢山いた。あるいは、これから工場で正社員になって長くはたらきたいと言う人もいた。

自動車工場は仕事がきつくて、朝と夜の交代勤務で、残業もある所で、不自由と言えばかなり不自由な仕事なのに、どうして長くはたらけるのだろうか。長くはたらいている人や長くはたらきたいと言う人は何も特別には見えなかった。実際日ごろの会話を聞いても何も特別なことは無いらしかった。結婚をしていて、子持ちの人もいて、朝夜交代で仕事して、休日にパチンコに行って、仕事の合間に子どもの送り迎えをして、弁当を作ってもらって、その人たちにとっての「普通の生活」をしていること以外に、長くはたらいている人や長くはたらきたい人たちに特別なことは無かった。

哲学とアニメが趣味の私から見ると不思議なことだけれど、普通に生活することは長くはたらく理由になるらしかった。そう考えると、生活のためにはたらき続けている人って実は自由なんじゃないか、とも思えた。

つまり、長くはたらける人たちは、はたらいて普通に生活すること自体が自分のやりたいことなんじゃないか。だから、きつい仕事でも長く続けている。自分で選んだやりたいことだから。そう考えるとはたらいている人がうらやましく思えた。はたらくことは不自由だと思っていた私とはまるで反対だった。

自由とは自分で選ぶこと

はたらくことが不自由だと私が感じていたのは、自分のやりたいことができないからだった。やりたいことをやって生きるというのは、大変なことだと思える。将来の夢とは現実から距離があるから「夢」と言うのだろうし、自分の欲求と世間との兼ね合いはなかなか難しい。

でも、人間すべてが不自由な訳ではないのだ。普通に生活することだって立派な夢になると私は思う。むしろ私は、普通に生活したいと思う人たちを見て勇気をもらえる気がした。なぜなら、その人たちははたらくことで自分の夢を実現しているから。その人たちは人間が自由にやりたいことを選択できることの証明じゃないかと私は思う。

だから嫌々あきらめてしまった、自分のやりたいことも選択できるかもしれない。自分がやりたい夢はお金にならないかもしれない。生活が苦しくなるかもしれない。そんなふうにきつくても、自分で選んだことなら続けられるかもしれない。嫌々している仕事をやめるということも、立派な自由なんじゃないか

だから、はたらきたければ、はたらけばいいじゃないか。やめたければ、やめればいい。どちらにせよ、自分で選択をしたのならそれは立派に自由な生き方だと私は思う。