着終わった制服

先日たまたま入ったリサイクルショップで買ったギンガムチェックのシャツが気に入っている。腕にギャザーの入ったショート丈。気に入っているのでつい休日のたびにそればかり着てしまう。どうやら私は一度「これだ」と思ったらそれを精神的に制服化してしまうところがあるようで、それ以外のものを着ても妙に落ち着かず、落ち着かないというか今日という日を無碍にしているような気分になってきて、このままではバリエーションのない人間になってしまうぞという一抹の罪悪感を感じながらまた袖を通してしまうのであった。

ていうかバリエーションなどというものはとうの昔から無い。求めても無い。私の服の着用単位というのは、日でもなければシーズンでもなく、ただただそれを着尽くすまでだ。短期間のうちに局所的に、気に入った服をそればかりがががーっと着まくってしまう。中毒にも似ていると思う。店頭に並んだかと思えばすぐさま荒っぽい女の身体に振り回された服は、心なしか疲弊するのが早い気がする。よれてよれて、一度や二度しょうゆをこぼした段階で、お決まりの「その服買い替えたら」という愛情に満ちた友の一声によって、それはようやくお蔵入りと化すのである。

「それがなければ何を着ろっていうのよ」というほど着尽くして、からからに干からびて、布切れに変わっていった何着かが目に浮かぶ。その老いよれた姿に一抹の切なさを感じなくはないのだが、いちおう、最大限弔うような気持ちで、ちゃんと折りたたんで、ごみ袋にいれる。まるで消費物のように、その服をなめまわして吸い尽くして着終わって、また次の「制服」を求める自分の服の着方は、はしたない。

最近、そうやって着終わった「制服」を、ためしに雑巾にしてみた。次なる活躍の場をみつけて服たちが喜んでいる…と言いたいところだが、全然そうは見えなかった。居心地が悪そうだ。違うなあという気がしている。やっぱりきちんと折りたたんでごみ袋にいれようか。それともマスクにしてみようか。



サポートいただいた分で無印良品のカレーを購入します