衣笠丼

私の中で「生きる気満々メシ」、というものがある。その定義はいまだ定かではないが、こう、作ろうとした時にふと、「生きる気満々じゃん、わたし」とつい口に出したくなるメニューのことである。むろん、自分で作る、というところがキーなのであるが、それは「作る」という行為が自身の生命への水やりに似た創造的営みだ、的な話では全然なくて(こういうのちょっと苦手)、単にいわゆる外食では補いにくい煮込み料理、何日も食いつなぐ系、スープの類いが「生きる気満々」度合いが高いからだ。明日、それを食べる私が存在している前提で生きている自分をちょっと俯瞰して見て驚くような感じが、「生きる気満々メシ」にはある。正直、「まじでえ?明日も生きるって信じているわけ?」と意地悪に茶化したくなるような滑稽な舌触りも含まれている。ゆるく生きることがかっこいい、生きることに必死なのってちょっと大丈夫?みたいな現代的なニヒリズムは意外と私の心の根にも、ということなのだろうか。「生きる気満々メシ」は物の足が早い夏場は当然出現度合いが少なく、だから夏場の私はちょっとやわい。夏場は、毎食、さしあたりおなかが膨れたことに安堵しながらなんとかやりすごす。

本当は今日の「生きる気満々メシ」は、ルーを使ったカレーの予定だったんだけど、やっぱり重たいから肉じゃがにしようと思って、でもちょうど帰りのバスが家の近くで停まる代わりにスーパーから遠い32系統だったので、肉を買わずに帰った。家に東山とうふのおいしい油揚げ(82円)があったから、それで油揚げ丼(京都では衣笠丼と呼ぶのだね?)を作って食べた。おいしいが、明日には何も残らない、なかなか今をなんとかやりすごす色気が強いメニューである。食べながら一度突発的に泣いたが、私の油揚げ丼はおいしいので二杯目をおかわりした。


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