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ひきつがれないもの

「おばあちゃんは正直な、今の女の人みたいに権利とか平等とかいうの、ちょっとどうかな〜って思うとこあるげん」

「やっぱり男と女で得手不得手っていうのはあるやろ。男は力仕事。女は細々(こまごま)したことに気ぃつくやろ。それは、どうにもならんことやとも思うんや」

祖母ははっきりした口調で、電話口でそう言った。張りのある声だった。病気だと思えないくらい。病室から抜け出すのにも体力がいっただろうということに気がついたのは、この電話から一ヶ月が経った、この文章を書きながらだ。

私はジェンダーに関する仕事をしていて、ふと思い立ち、病床の祖母にそのことについての手紙に書いたのだった。私の仕事については、一社目を半年で辞めて以来なんとなくタブーになっていた。勇気ある何人かが触れたものの、苦笑いする私の「説明するのが難しい」という言葉と、株式会社でないがゆえの妙な組織名の胡散臭さから、だいたい踏み込まれない。なにかにつけ話を聞いてくれる祖母についても同様だった。関心がないというより、本当にどこから触れていいのかわからなかったのだろう。

私は手紙に、「女だからという理由で理不尽な扱いを受けたり、負担を強いられたり、やりたい事を諦めたりしなきゃいけないのはおかしいと思うんです」と書いた。正直、あんまりこの部分については触れてこないだろうと、何気ない気持ちで書いた。でも、おばあちゃんは、そのことについては、共感的な言葉も、否定的な言葉もなく、ただ、自分の見解をしっかりと述べたのだった。冒頭の言葉のあと、「おばあちゃんはそういうふうにしか思えんげん。ふるーいけどそういう考え方もあるんやなって聞いてな」と言った。

私はそれにいくつかの反論をしたようなしていないような、記憶はおぼろげだ。「いやそうは言っても」というようなことを言った気がする。はっきりと覚えているのは、「いや、私は細かいことは気がつかないよ、「女」だけど」と言って笑ったことだけだ。

祖母の体調は芳しくなく、週末は片道4時間かけて父が家のことを手伝いに行っている。最近はあらゆる記憶が定かで無い祖父は、家事を父にやらせて寝ている祖母を怒ったのだという。

「うちがやれば気が済むんか?」とキレたおばあちゃんは、怒って台所に立ったのだという。

私はこのことを父から聞いて、やっぱりそうなってしまうんじゃん、って思ってしまった。刷り込まれた習慣は、たとえ記憶がなくなっても拭えない。祖母の母、すなわち私のひいおばあちゃんは、祖父に糠床一つ触らせる事を許さなかった。ひいおばあちゃんは、重たいものを持ってもらおうと祖父に頼んだ祖母を、「うちの息子になにさせとんじゃー?」と叱ったのだという。

そんな絵に描いたような家父長制の中で生き抜いてきた彼女にとっては、私の見解はぬるま湯のようにしか見えず、私に、いや私の母に対しても苛立っている(いた)のだろう。
私の母は、「女である自分だけが、家事をしなければならないのはなぜなんだ」と、時々、突発的に怒り狂うことがあった。それを見て幼心に「もっともだ、なんでなんだろう?」と思った事を覚えている。でも、それがなぜなのかもわからなかったし、そんな知的な違和感よりも、「なんで昨日まで普通にやっていたことを急に?」という戸惑いの方が強かった。母も、それ以上を説明しようとはしなかった。とにかく感情的にキレて、怒る。でも次の日は淡々と朝ごはんを作るのだった。その背中を見て、「昨日は嫌だって言ってたのになんで?」と素朴に思い、混乱した。母に料理を作らせる目に見えないエネルギーが、どれだけ根強いのかその時私はわかっていなかったし、母も、この力動がどこからきているのか、言葉で説明しようという気にもならなかったのかもしれないし、言葉にできなかったのかもしれない。

「女はこういうもんだ」を当たり前のように人に押し付けるひいおばあちゃんがいて、それをおかしいとおもいながらも従って、その違和感ゆえにほかの誰かには押しつけなかった祖母がいて、おかしいと家族に言いながらもやらざるを得なかった母がいる。そして、おかしいとしか思えない私がいる。ひいおばあちゃんが、おかしいと思っていたのかどうかはわからない。でも、ふとさびしくなる夜は、一日くらい、あったんじゃないだろうか。

ジェンダー系のイベントに参加すると「じわじわと価値観はアップデートされていくんじゃないか」という言葉をよく聞く。確かにそうだよなって思う。これからどんどん変わっていくだろう。それが明るいものだよってピカピカ彩りながら、私もそれを笑顔で押し進めるだろう。でも、その言葉を聞くたびに、何かが切り離される感覚もあった。それがなんなのか、ここ一ヶ月で少しわかった。そうできなかったひいおばあちゃん、おばあちゃん、母。何かがひきつがれず、なにかがひきつがれた。この人たちの生き様がなければ、私は「おかしい」とすら思えなかった。




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