[短編小説] ちちとち

「あんたはそれでも恵まれてるじゃん」

 千円札をファミレスのテーブルに叩きつけて、数人しかいない友人の一人は席を立った。まだ注いだばかりのコーンポタージュが、量産品の白いマグカップから湯気を溢れさせている。

 友人は、父親の顔を知らない。そのことは知っていた。でも、私の苦しみも理解してくれるだろうと思っていた。

 社会の中でそれなりの地位にいる父親がいる。Google先生に尋ねたら、功績と顔写真が出てくる。そういう父親がいる。

 父親は、何に手をつけても平均以上の結果を自然と出すことができる人だった。簡単に言えば、コストパフォーマンスがいい遺伝子を持って生まれてきた。それが当たり前になっていたから、自分ができることはみんなができると思っている。できないことは、やる気がないか、やろうとしていないことの証明だと信じているみたいだ。

 彼は当然のように、自分と類似した功績を私にも求めた。重荷であるにも関わらず、その努力は彼にとって当然のことだと受け止められていた。歯を磨くみたいに、ズボンのチャックは閉めるみたいに、当然のことだと、彼は思っていた。

 頑張ってみたものの、結果はかんばしくなかった。世間から評価される程度の成果は生み出せたが、それは彼の満足のいく水準ではなかった。

 それでも、まだ諦めてはいけないと思っていた。

 糸が切れたのは高校生の頃だった。

 ひどい生理痛で、座ることすら辛い日曜日だった。布団に横たわり、1秒でも早く鎮痛剤が効くようにと念じていた私に向かって、「課題は?」と尋ねた。

 もう、頑張ることは無理だと思った。

 それからは、無意識下に追いやっていた父親への恨みつらみが隠せなくなった。膿がどろっと溢れた。

 父親から提供された全てが憎らしくなって、何もかも捨て去りたくなった。体を傷つけたくて、自傷をして風俗のバイトで痛めつけた。学歴を捨てたくて、わざと受験で間違えた。

 名前を捨てたくて、すぐにでも結婚してくれそうな相手を探した。もうそろそろでいけそうな予感がする。

 痕跡はわずかにも残したくなかった。だが、捨てるのにはコストがかかる。慎重にいかなければ、その後の人生にも差し支える。

 だから相談したのに。友人の逆鱗に触れたらしい。

 親がいることは、必ずしもプラスじゃない。

 これ以上ファミレスに居る理由がなくなって、会計を済ました。

 化粧を直すためにトイレによると、鏡には父親と瓜二つの気持ち悪い顔が写っていた。

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