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[短編小説]ヒト科のサカナ

「水を得た魚のよう」の意味を説明した国語教師に質問したことがある。

「魚は本来、水の中に住んでいるので『得る』という表現はおかしいのではないでしょうか。『水に帰った』『水に戻った』魚のよう、が正解なんじゃないですか」と授業中に尋ねた。

純粋な疑問のつもりだったけど、教師に噛み付いた小賢しいやつ、と判断されたらしい。慣用句とはそういうものです、と一蹴された。

空気の中で生きているヒトは、水の中では息ができない。
水の中で生きているサカナは、空気の中では息ができない。

呼吸するのに必要なのは酸素であって、空気である必要はない。それなのに、人間は呼吸のためには必要なのは空気だと思い違いをしている。水の中でしか生きられない生き物を可哀想に思ったりする。ひどい誤解だと思う。

息をするために、生きるために、酸素だけを吸うのではない。ヒトは空気に混ぜて、サカナは水に混ぜて体に取り入れる。ヒトは水に混ぜた空気では呼吸はできない。

空気のある場所では目一杯息を吸えるけど、水の中に顔を突っ込めば1分ももたない。

ヒトとサカナは、空気と水の概念が逆なんじゃないか、とスーパーの狭い水槽をぐるぐる、死んだ目をしながら泳ぐアジを見て思う。酸素はあるはずなのに、呼吸ができない場所。数分もしたら死んでしまう場所。

私はもしかしたら、ヒトの形をしたサカナなのかもしれない。

「はい、アジを二尾お願いします」
「かしこまりました」

ぐるぐる泳いでいたアジが網に掬われてビチビチ跳ねる。あと数十秒でさばかれる予定の、今日の晩ご飯。

苦しそうに口をパクパク開けている。

わかる。

わかるよ。

酸素があるはずなのに、呼吸ができない。ダメだとわかっていても、足掻くしかない。

どこにいても馴染めなくて。会話についていけなくて。みんなに見えているらしい会話のボールとかいうものも、生まれてこの方見えたことなくて。

必死に口を開けてもがくけれど、酸素は肺に届かない。

サカナの私は、今日も地上で息ができない。


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