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日本史22 今度は藤原のホッケが権力者ってこと

1円玉1枚を作るのに、3円かかるらしいよ!

まぁ、他の硬貨で帳尻合わせてんだろうね。
てか、1円っている?
いつかなくなるんだろうな。

藤原氏って結構前から歴史に出てくるじゃないですか。
古くは、藤原鎌足とかね。

藤原氏って昔からそれなりに権力者だったんですけど、
飛鳥時代から律令っていう国のルールの作成に深く関わってたから、いちはやく「官僚」的なポジションについて、国を動かす中心的な役割を果たすようになった一族、それが藤原氏なんですね。

その中でも「北家」と呼ばれる家系。
これが強くなってくるんですよ。
嵯峨天皇の時に藤原冬嗣が蔵人頭に任命されたじゃないですか。
こっからモーレツに力を増していくんですよ。
藤原氏の中でも中心的な存在になるんですよ。

中心的なポジションになると、人ってどうなると思います?
そう。
調子に乗るんですよ。


中心的存在になった藤原北家はライバルを次々と蹴落として、権力がどんどん強くなっていくんですよ。
結局この繰り返しなんだよね。

藤原北家がライバルを政治の世界から追放・排除するっていう、事件が起きるんですよ。

まず、藤原良房が事件を起こします。
この事件を、私は「承和の変」と名付けました。
たまたま世間的にも、承和の変っていうみたいです。


皇室の「ボス」であった嵯峨上皇が亡くなるんですけど、そうすると、嵯峨上皇の甥と孫の間に皇位継承争いが起こるんですね。

この皇位継承のごたごたの最中、藤原良房は裏切りの疑いがかかった伴健岑、橘逸勢という橘氏、伴氏のライバルたちを流刑に追い込んだんです。

そして藤原良房は、妹の子(甥)の文徳天皇、娘の子(孫)の清和天皇と、血縁関係にある天皇を次々と即位させたんです。

清和天皇はまだ9歳だったので、清和天皇の外祖父(母方の祖父)の藤原良房が天皇の代わりに政治をみるようになるんですね。
このポジションを摂政っていいます。
この摂政は、今も一応ありますよね

あくまで代わりですからね



実権を握った藤原良房に、平安京にある応天門が焼け落ちたという知らせが入ります。
調査してみたら、大納言っていうポジションにあった伴善男が、ライバルの左大臣、源信に罪をかぶせようとして放火したことが判明したんですね。
この頃は権力争いがドロドロですね。

この「応天門の変」で伴善男は流罪になり、結果的に良房はここでもライバルであった伴氏を没落させることになったのです。
ライバルが勝手に転落したという幸運もあったんですね。


藤原良房の次に実権を握ったのは良房の養子、藤原基経です。

清和天皇の次に即位した陽成天皇も幼少だったため、藤原基経も摂政になって権力をふるうんですね。

成長した陽成天皇がかなりやんちゃだったので、陽成天皇のあとに、光孝天皇が天皇になるんですけど、この光孝天皇、55歳という高齢だったので、藤原基経が補佐をするんです。
成人後の天皇を補佐するポジションを「関白」っていったりします。

光孝天皇は即位後3年で亡くなって、21歳の宇多天皇が天皇になるんですけど、藤原基経は宇田天皇の時も「関白」という地位に任命されます。

偉い人の補佐をするという体で、権力をぶんぶん振るったわけですね。

(´_ゝ`)

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