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違和感を抱いている人に聞け!

 エッセイ連載の第26回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)

 取材って、その分野で成功している人や、その世界にディープに入りこんでいる人にしがちだけど、それって、学校について学校の人気者に聞くようなことになってないかな? という疑問が……

心だけでも旅しようと思ったら

 旅行記が苦手だとずっと思っていた。

 入院中、お見舞いで旅行の本をよくもらった。
 病院のベッドの上で身動きできないのだから、せめて本で旅を楽しんではどうかということだ。

 なるほどと思って、ありがたく読んでみた。
 ところが、あまり面白いと思えなかった。

 インドに行って、老人が黙ってすわっている横顔に崇高さを感じたり、アフリカで動物の目を見つめて気持ちが通じ合ったように思ったり、オーストラリアのエアーズロックで啓示を得たり……。

 同じ病室の人から、昔は暴走族で派手なケンカをしたという話を延々と聞かされたときのような感じだった。
 当人にはすごい体験なのだろうけど、聞かされるほうは……。

 旅行ができない人間の、やっかみもあったのかもしれない。
 ともかく、旅行記は読まなくなった。

なぜこの人の本はちがうのか?

 だから、田中真知さんという作家さんと知り合って、旅行の本を書いていると知ったときには、これはまずいと思った。
 私は本音が表に出やすいほうで、友達からも「赤ちゃんか!」と言われるほどなので、読んでつまらないと思ったら、口先でいくらほめても本心に気づかれてしまうかもしれない。

 ところが、真知さんの旅行の本は面白かった。
 それも、ものすごく面白かった。
 自分が旅行記を面白いと思うこともあるのかと驚いた。

 だが、なぜ面白いのかがわからない。もちろん、波瀾万丈の展開だから面白いというのもあるが、それなら、それまでの旅行記だってそうだった。いったいどこがちがうというのか?

 しばらくして気づいたのは、〝違和感〟ということだ。
 真知さんは日本に違和感を抱いて旅立つのだが、旅先でもつねに違和感を抱いている。どこに行っても、そこにうまく溶け込めない。

 たとえば、現地の人たちが食べている猿の肉を出されたりすれば、旅行好きの人というのは、そういう食べ物こそ喜んで食べて、現地の人たちとたちまちなごやかになっていくものだ。しかし、真知さんは食べない。だから、なごやかになれない。

「それじゃ、ダメじゃないの?」と思うかもしれないが、そうではない。
 何でもすぐに食べて、現地の人と仲良くなれるような人には、見えないことがたくさんある。

「それは逆では? 現地の人たちに溶け込めてこそ、ディープなところまで知れるのだから」と思うかもしれないが、意外にそうでもない。

学校のルポを誰に書いてもらう?

 たとえば、学校のルポを学生に書いてもらうとする。あなたは、どんな学生にルポを頼むだろうか?

 学校に溶け込んでいて、クラスの人気者で、成績もよく、部活でも活躍しているような学生だろうか?
 どう考えても、そういう学生には、学校というものの実態は見えていないだろう。

 では、学校がきらいで、ひきこもっている学生だろうか? 学校の問題点にはいちばん気づいているかもしれないが、なにしろ学校に行っていないのだから、やはり気づかないこともある。

 学校について、いちばん深いルポを書けるのは、学校に違和感を覚えながら、それでもなんとか通っている生徒だろう。

その水になじめない魚だけが

 このことは、沖縄に移住してからも実感した。
 内地の人で、沖縄についていちばんよくわかっているのは、現地の人たちと深いつきあいをして、その土地にディープに入り込んでいる人たちだと思っていた。
 ところが、実際にはそうでもなかった。

 沖縄に旅行に来て、数日間、サトウキビ畑で汗水流して働いてみて、「本当の自分を見つけた」というような人たちの、沖縄に対する認識が浅いのは当然だが、ディープに入りこんでいる人たちにも、学校でうまくいっている生徒の学校ルポと同じようなところがあった。

 では、どういう人の認識が深かったかというと、沖縄で暮らしながらも、完全にはなじめず、ずっと違和感を抱いている人たちだ。

 これはもちろん、私の個人的な感想なので、私の勘違いかもしれない。

 しかし、その水にしっくりなじめる魚は、その水のことを考えなくなる。その水になじめない魚だけが、その水について考え続けるのだ。

何かについて聞くなら、誰に?

 これは旅行記に限らない。
 何かについて聞くなら、そのことに違和感を抱いている人に聞くのがいいのかもしれない。

 カフカはずっと生きづらさを感じていた。でも、自殺せずに、サラリーマンとして日常生活を送っていた。だからこそ、深く現実をとらえた小説が書けたのかもしれない。

 社会について聞くなら、社会的成功者ではなく、社会に違和感を抱いている人に聞くほうがいいのかもしれない。

 日本について聞くなら、日本に違和感を抱いている人に聞くほうがいいのかもしれない。

 人生について聞くなら、人生がうまくいっている人ではなく、人生に違和感を抱きながら、それでもなんとか生きている人に聞くのがいいのかもしれない。

 そういえば、学生時代、サッカー部なのに「サッカーのこういうところがおかしい」とあれこれ批判する男がいて、サッカー好きな人間には気がつけない指摘がたくさんあって、いつも面白かった。

 いつか、いろんな分野について、その分野でうまくいっている人ではなく、違和感を抱いている人たち(でもその分野で活動してる人たち)にインタビューした本を出してみたいものだ。



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