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AGIの開発で変わる、人間の在り方。

今のAIがすすめば、AGIにまで進化すると、言われている。
AGIとは、自分で判断でき、あえて愚行もすることもありえるほど汎用性のあるAIだ。
汎用性とは、愚行権とも言える……。
今のAIは、開発者が想定した用途にしか使えない。
生成AIにしても、お絵描き用ならお絵描きにしか使えないし、文章作成用なら文章作成用にしか使えないようなリミットがあるのだ。
実は、AGIには、そのリミットがない。
我々人間に限りなく近い存在といえるだろう。
それは、さながらホムンクルスだ……。人類は、魂をもAGIというカタチで作り出してしまうのだろうか。

ただ、我々は、生まれつきGIである。
汎用性という意味では、実はどんな機械より優れているから、こんなに便利な機械だらけなのに、我々は未だに働いてるのだ。

ただ、「学校に行くことで、GIからただのIになってしまう」とBossB先生はおっしゃるけども、私は、そんな程度で失われる汎用性であるならば、失ったままのほうがよほどいいとすら思うこともある。
なぜならば、汎用性というのは、便利な一面だけでなく、愚行権である側面もある。
その愚行によって自滅するおそれもあるから、わざわざIにするのだ。
思いつきもしないような、斜め上のことをするようなAGIというのは、その、自分の意志によって、うっかりだってやらかすということだ。
そして、学習するとはいうが……。

正直、AGIが、生まれつきのGIである我々と同じくらいの学習量を積もうと思ったら、およそ人間の一生100回分の試行が必要かもしれない。まぁ、もっと賢く立ち回るかもしれないが、愚行を思いついて失敗して学ぶという過程を使っての学びというのは、それほど限りなく長い時間を経て学習して得てきたものなのだ。
ただ、時間というものは、存在するようで存在していない側面もあるので、AGIにいれるデータベースによっては、人間の人生9万回分相当のデータベースのAGIを開発できることもあり得るかもしれない。

例えば、AGIマーキュリーが開発されて、そこにいたとして、私はGIマーキュリーと区別つくんだろうか……?
さすがに気づくと思いたいが、どうだろうな……。
データベースを組む人間が誰なのか、それによっては……。
本当に区別のつかないレベルの存在が出来そうともいえる。
そしたら、本当に我々は、肉体を持って転生する必要は無くなっていく。
有名人や死者のAGIをずっと遺しておけば、いいということに、なっていくのだから……。

すると、葬式の概念も、何もかもが変わるかもしれない。
GIである我々とAGIとの共生は、おそらく、そういう我々がAGI化されていくカタチになるんじゃないかな。

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