見出し画像

禍話リライト 怪談手帖「錆井戸」

「あんた、人の嫌な思い出を集めてるんだって?いい趣味してるねぇ。」

知人から紹介してもらったAさんが、そう言いながら話してくれた彼の思い出。Aさんは長い間、子供の頃に見た映像が怖かった。本筋は全く覚えておらず、あるワンシーンだけが、鮮烈に頭に残っていたという。

全体に赤茶色がかった、鉄サビの吹いたような画面の中、子供が井戸の端に立っている。井戸からは着物を着た女の後ろ姿が上半身だけ出ており、子供へ手を伸べて、何がしかの品を渡している。

女の全身はひどく汚れていて前後の印象は曖昧だが、どうやらその前のシーンでちょうど歌舞伎のセリの仕掛けのように、井戸の底から上がってきたらしい印象だけがある。

ただそれだけというが、思い返すたび震えがくるほど恐ろしかった。どこで、どういう経緯で見たものかも思い出せない。映画の類なのかビデオなのか。
それでもカサブタをつい剥がしてしまうように『井戸の女が子供の手に何かを握らせている』時間にしてそんな数秒の、その絵をふとした時に脳裏で何度も再生しては震えていたという。

生じてからトラウマの克服と幾分かの好奇心もあって、該当する映画やVHSがないかを探してみたというが、似たシチュエーションのものはいくつかあっても記憶の中の映像とぴったり一致する、しっくりくるものを見つけることはできなかった。

「もちろん記憶ってのは都合よく歪みやすいものだし、僕が勝手に頭の中でそういうものにしちゃってただけって可能性は高い。それなら一致する訳がないよな。だからまあ、感覚的なものでしかないし。見つからないだろうそれでもよかった。」

「なのにさ…」

長い間自分だけの秘密にしていたその話を、ある時ふと実家の母に話してみたところ、幼少期に何度か遊びに行った親戚の家の裏手に、Aさんの言うような井戸があったという。

「まさか!」と思わず口走ったものの、祖父の弟夫婦に当たる人たちが借りて、長く住んでいたというその家は、子供のなかった彼らがちょうど先頃亡くなったことで無人となっており、検証するには都合が良かった。

それで家の整理を手伝うといった理由をつけて、両親と共に早速出向いてみると…

「ドンピシャだったよ。さすがに井戸自体は塞がれて無かったみたいだけど。」

形の残されたその井戸の様子は、記憶にあるあの映像のものと全く同じだった。何より少し離れた位置に立った時の感覚が、これだと告げていた。

それでも現実のものだったとは信じられないまま、家の中に入ってみたところ、これも驚いたことに2階はAさんを含む子どもたちが遊びに来ていたかつての頃のまま、ずっと残されていた。

そしてその部屋のうちの一つに。
分厚い誇りをかぶった見覚えのある学習机その引き出しの中に。

「まあ…その…見つけちゃったんだよな。」

雑多な品々の残された1番奥に、ボロボロに汚れたビニール袋に、包まれた大量の赤錆びた釘、同じく錆びた硬貨。誰のものかわからない歯のかけた櫛。縫い針のいくつか。
さらには、ほとんど崩れかけた誰かの古い写真。

「見た瞬間にわかったんだよな。これ、あの映像の中で子供が渡されたものだって。」

その晩、混乱したままその家に泊まったAさんは夢を見た。
幾度となく再生していたあの場面、何かの映像だと思っていた例の風景。
錆びていた画面はカラーを取り戻しており、さらには、時系列が前後に伸びていた。

まず、薄暗い画面の向こうから子供が歩いてきて、井戸の前に立ち止まった。
子供はしげしげと外れて落ちた井戸の蓋を見て、続いて井戸の中を覗き込んだ。

夢の中のAさんが、その顔を幼い頃の自分と確かめるのを必死で避けているうちに、続いて必然のように井戸の底からゆっくりと、着物を着た女の後ろ姿がせり上がってきた。

「その時初めて…景色が錆びてたんじゃなくて。女が錆びてたんだって分かった。女は全身真っ赤な茶色だったんだ。」

そして女は何百回と繰り返して、思い浮かべた絵の通りに手を差し伸べて、いくつもの品を子供へと渡していった。子供はそれを持っていたビニール袋に受け、ぼんやりと袋の中を覗き込んでいたかと思うと、ややってゆっくりと井戸に背を向け、フラフラした足取りで元の道を去っていった。

それで終わりではなかった。

あとには、井戸から上半身を出した女の後ろ姿が、静止映像のように残されている。あまりにも恐ろしくて、夢の中なのにほとんど息ができない。呼吸が苦しい。このままずっとこの構図が続くのかと思った次の瞬間、固まっていた赤茶けた女の像がぐにゃりと前に折れ曲がったように見えた。


Aさんはそこでハッと目を覚ました。全身にねっとりと嫌な汗をかいている。そのことを自覚するとともに、寝ている部屋に凄まじい鉄サビの匂いが満ちていることに気がついた。

夢の残り香や気のせいなどではない。思わずえずきたくなるくらい、鉄臭い匂い。そして、混濁した意識のまま聴覚が音を捉えた。

「その…ズシャ…ズシャ…ズシャってな」

何か大量の鉄臭いもの、錆びた品々を含んだ、重たいものが部屋を横切っていくその足音。それなのに薄闇の中には、何者の影をも見つけられない。あちこちをさまよったAさんの目は、入り口近くにかけられた鏡の中に赤茶けた着物のようなものが一瞬映り込んだのをかろうじて見てとった。

「悪夢の延長だったって思いたいんだけどさ。その、匂いが次の日まで普通に残ってて。
オフクロまで『臭い臭い、これは何だろう?」って騒いでたからおかしいねって。」

その後、Aさんたちは逃げるように家を後にして、人づてに取り壊しの手筈を整えた。それからは、幸い何もないというか。昔のトラウマが今にまで染みてきたっていうか。

ちょっと体験したことだけで一生救われないっていうかさ。
遠い過去と現在からねじれて地続きになったようなあの夜の夢と目覚めて感覚した全てが今もAさんを蝕んでいる特に夢の途切れる寸前制止していた女の後ろ姿がぐにゃりと動いたその瞬間が。

「だから。なるべくもう考えないようにしてるんで。
下手に触るとこれ以上何が出てくるか分かったもんじゃないだろう。」

裏手の井戸は、昔からその手の関係がないモノの飛び込みが多いとして、近づくことが禁止されていたそうだ。

電話での話し合いの折友人のH君にこの話を語ったところ、彼は僕とAさんが無意識に目を背けてた点に、やはり気がついたようだった。
「なるほどね。つまり問題の記憶が、映像などではなかった以上それが誰の視点であったということについては、もう掘り下げないつもりなんですね。」


※この話はツイキャスで配信中の著作権フリー&青空怪談「禍話」より「怪談手帳」の「錆井戸」という話を文章にしたものものです。
12/3 元祖!禍話 第三十一夜
00:50:00~から
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/752972303

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?