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サッカーにおける視点、視野、視座

友人とのプライベートでのやり取りで、視点、視野、視座の話になり、整理すればサッカーでの理解にも繋がりそうなので考えてみる。

パッと考えつく、自分なりの解釈でしかないので、それぞれでいろいろ議論しながら深堀りしていきたいところ。

まず視点とは物事のどの部分を見るかであり、全く同じ現象を見ていたとしても人それぞれによって異なる。

その人が育ってきた背景や、現時点での立ち位置などでも異なってくるので、「なんのために、なにを見るのか」などのようなチームとしての前提がないとバラバラとなる。

ただ、独特な視点がよい方向に転がる時もあり、ある選手は何人も混在するピッチ上で特定のある選手のことしか見えないと言っており、実際にそれで予測不可能かつ人が変わると再現不可能なコンビネーションプレーが生まれていたりするあたりは人ゆえのおもしろさを感じている。(再現性と予測に関してはまた別で深堀りたい。)

個人の主観的な合う、合わないで選ばれていては堪ったものではないが、結果まで昇華されていればぐうの音もでなければ、多くの人の目を惹きつけていたと思う。

個人的なところで話すと、視点とは角度を変えられるという点も大事で、それでいうとGK以外は全部のポジションをこなしてきたし、なんならトレーニングの意図を汲めと幼少期から指導者育成ビデオから学んできた経験は強い。

まだ若く経験が浅い、言い換えると視座がまだ低いうちは相手の視点を想像することが難しいので、立ち位置を変えることで物の見方を物理的に変えることは貴重な経験となる。

こうやって視点を変えながら、様々な立場のことを知ることで、最後は想像で相手の立場に立って物事を考えたり見ることができるようになることを視座が高くなったという。

ポジションコンバートは単に適正だけではなく、このような意図が含まれるということを理解できていれば、経験がまた違った見え方になるけど、これも視座にが高まっていればできることになるのかな。

だから、サッカーで経験を積むというのは、単に競技的な部分だけでなく、人のことであったりと、様々な要因を複合的に考えながらトータルに振り返っていく必要がある。

視点と視座の関係でいうと、「いま」みえるものと持っている情報を繋ぎ合わせて「未来」を覗く視点も視座が高いと言えるのかな。

順番が入れ替わってしまったが、最後に触れておきたいのが視野の話。

視野には、個人的な定義では目で捉える範囲と、感覚で捉える範囲の二つでわけていて、まずは視覚的な方から。

基本的に目指すべき方向と色を意識していればいいかなと思ってやってきたので、視界を狭めて解像度を上げるというよりは、多少解像度が荒くてもより広範囲でざっくりと捉えておきたいタイプ。

そうなると頑張って見ようとするより、リラックスして、カメラのピントをあえて合わせないイメージで眺める方が向いていると気付いたのが仙台にいた頃。

ただ、現代サッカーはどんどんスピードアップしているので、のんびりと眺める時間がなくなっていることもまた事実。

なので、そもそものこのイメージからアップデートしなければならない可能性もある。

ただ、一旦はあらかじめ個人の情報を先に頭に入れておき、知っていることを増やすことである種の決め打ち的にプレーまでの時間を早めるような対策は立てられる。

なかにはピントを合わせてよく見ないとわかりづらい、自己主張が薄いタイプおり、そういう人たちとは日々のコミュニケーションによってイメージを擦り合わせておく過程がより重要性を増す。

余談として視覚的なところで話すと、例えばパッと目に入ってきたものを瞬間的に記憶し、それを角度を変えながら繰り返すことで脳内で360度のイメージマッピングが可能になったりしないかとか考えてみるけど、まあこれはいつか暇ができればということで。

そして、身体をやり始めるようになって注目しているのが、感覚で捉える範囲のところ。

伸び伸びとプレーしていたアメリカ時代。

背後から追いかけてくる相手を気配で感じ取りながら、いつどこで相手の股が開くかのタイミングを取り、ヒールでまた抜きするプレーがあった。

その一連の動作の中で、視覚的には相手のことはみてはいないけど、頭の中で相手の動作がリアルタイムでみえていた。

シンプルに自信の話だと思って、意図的に英語を話してアメリカ的な性格を自分の中で呼び起こしたり、いろいろと試したが、どうも身体の状態が鍵であるように感じている。

気持ちよく動けている時は、自然と視野も広がり、みえていないものでもみえているかのように対応できる。(気持ちよく動けている状態というのも身体の視点できちんと噛み砕けるけど、それはまた別の記事で。)

身体へのアプローチだけがすべてではないにせよ、プレーのキレも上がり、認知も向上するとなって、身体沼にハマり続けている。

ただ、前十字を切ってからは感覚も変わってきており、ここはまだあまり言語化が進んではいないものの、背中で捉える感覚が特に変化があるように感じている。

今年のチャレンジの一つとして、脳についてを取り組むべく説明を聞いていた昨晩、モロー反射の話を聞いて解決の糸口に繋がりそうな可能性を感じたので、ここはまたチャレンジしながら理解を深めていきたい。

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