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TEAM above ME -立ち返るべきときに

もうすぐリーグ戦が始まる。アップ、ダウンと、様々な感情が入り混じる、リーグの戦い。困ったことに、スフィーダではベテランの立ち位置にありながらも、個人的な感情が顔を出しそうになることがある。もし、今年もそんな瞬間が訪れるのであれば、いや、確実に訪れると思うので、そんな時のために残しておく。

「世田谷のためにプレーする」ここ最近、チームでもよく耳にするようになった言葉。必要なマインドであることは重々承知の上で、どこか腑落ちできないままでいる。そもそもとして、私たちがサッカーをすることが、なぜ世田谷のためになり得るのか。

「今日のスフィーダのサッカーには心を動かされた」

昨シーズンの皇后杯大宮戦敗退後、サポーターの方からいただいた言葉。長い選手生活の中でも、最高に嬉しかった言葉の一つ。そして、おそらくこの言葉の中に、選手としてできる「世田谷のため」が詰まっている。

2年前、スフィーダに移籍してきて、まず最初に思ったのが、真っ直ぐな人が多いなという印象。素直で、どこまでも真っ直ぐで、よくもわるくも、何にでもなれる。そんなみんなも、スイッチが入る瞬間はめちゃくちゃかっこよくて。特に、好調な時に見せる勢いは、日本中を見渡してもそうは見つけられないように思う。

移籍を決めたとき、この目には見えない可能性にワクワクしたし、ともに日々を積み重ねるうちに、みんなの輝きに魅せられた。スフィーダらしいサッカーには、いろいろな想いがあるとは思うが、私としては、そういった部分をフルに出せることがスフィーダらしさに繋がると思っている。

そう思っているからこそ、久々にサッカーをしたと感じられた試合で、あの言葉をもらえたことは「この道で間違っていない」そう言ってもらえたようにも感じた。結果には繋がらなかったし、死力を尽くすような、決してスマートとは言えない姿だったかもしれないけど、あれはスフィーダの姿だったと。

おそらく選手としての私たちがピッチ上でできることは、一試合でも多く、スフィーダらしさを体現することで、そこに共感してくれる輪を広げること。そのためには、サッカーや自分自身とより向き合う必要があるし、ただ日々をこなすだけでは絶対に為し得ない。スフィーダらしさと口に出すのは簡単だが、それを体現するには試行錯誤の上で積み重ねられる日々がいる。

そして、私自身にとっても、これを文章にするということは、シーズン中に顔を出すであろう個人的なWANTばかりでなく、チームを引き出す道にも目を向ける覚悟を決める必要がある。だから、正直なことをいうと、この記事をオープンにしたくない。できればこのままブラウザを閉じて、わがままに自分のプレーを追求したい。

でも、そっちの道を選んで、万が一にもみんなの輝きが十分に発揮されずに終わってしまった場合、たぶんだけど、めちゃくちゃ後悔すると思う。だから、いつもと同じやり方で、先にでっかい口を叩いておいて、逃げられないようにする。

てことで、もう言っちゃったからさ。あとはよろしく、未来の自分。


p.s. 

「世田谷のために」という部分で、本来であれば、真っ先に触れるべきことがあるのですが、本文ではピッチでの事柄にフォーカスしたかったので、ここで記させていただきます。

元々少なかった世田谷開催が、一切なくなった2022シーズン。応援してくださっているファン、サポーターの方々には大変申し訳なく思っています。今シーズンの開催地は、もうどうしようもありませんが、ピッチでのムーブメントで一人でも多くの人に共感していただき、それがいつか、世田谷のスタジアムでプレーすることに繋がるよう、選手全員で全力を尽くします。

わがままなお願いではありますが、今シーズンも一緒に戦っていただけますと嬉しいです。

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