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うつ病初期の景色【その①】わたしが壊れた、と自覚した一枚の木の絵

今回は、わたしがうつ病で倒れた時の話です。

まず、最初にお伝えしたいことがあります。
うつ病に限らず、心と体の健康が失われた時の過ごし方や症状の出方、回復にかかる時間、変化の現れ方は人それぞれだと思う、と言うことです。
(みんな、一人ひとりのペースでいきましょうー)

あくまでわたしの場合、のストーリー。よろしければご覧ください

突然倒れた、出勤時の駅のホーム。

わたしは当時、会社に勤めていました。

正直、色々なモヤモヤ(※)を抱えながら過ごしてはいました。

(※モヤモヤの正体=どんな環境だったか、自分が状況だったのか、周囲との人間関係をどう捉えていたかなどは、今後また改めて書きたいと思います。今回は割愛。)

それでも前日までは、通常通り勤務。
倒れた当日も、家を出る時は特に異変は感じていませんでした。

でも電車の中でじわじわと違和感が襲ってきました。
動悸のような、不安感のような。
満員電車で酔ったのかな?とも思ったけど何か違う。

乗り換えのために駅のホームに降りて
「次は○○線の電車に乗らないと。ホームでちょっと休んだら会社行かないと」
と思った次の瞬間。

極度の震え、立てない、めまい、吐き気、助けも呼べない。
わたしは駅のホームの端っこで倒れ込んでいました。

あれ、終わったかな私、と本気で思いました。

突然の体調不良。わたしは「会社に行くのが怖い」

そこからは、車椅子で駅員さんに運んでもらい一旦医務室へ。
さらに近隣の病院に移動して点滴を受けました。

会社からはゆっくり休んでと言ってもらい、しばらく休暇をもらいました。
幸いゴールデンウィークも挟んだこともあり、かなり長めの休暇。
気晴らしに出かけたり、順調に回復したように思えました。

でも、休暇最終日。
「また明日から出勤」と思ったら
唐突に襲ってくる絶望、拒絶、不安感。
無理 無理 無理 無理 !!!!
怖くて怖くてたまらない。「会社に行けない」

行きたくない、ではなく行けない。

わたし自身があの環境を拒んでいる、そんな感じでした。
わたし会社に行くのが怖いんだ。

心療内科?いきなり受診するハードルの高さ

兼ねてからモヤモヤしてることを相談していた友人に連絡。
「先日倒れた、回復したかと思ったけど明日から出勤と思ったら拒絶反応が出ている」と。
友人は「今すぐ心療内科に行ったらどうか」と言ってくれました。

心療内科??
それまでその選択肢は自分にありませんでした。

ずっとキャリアや環境で悩んでいるのは確かだけど、
それとメンタルの病気の関係性は特に感じていなかったからです。

でも今、冷や汗が止まらないほどの不安感。
流石にまずい、つべこべ言っていられない。

震えながら近隣の心療内科を検索。
検索時、病院の悪い口コミはさらにわたしを迷わせます。
「この先生は話を全く聞いてくれない」とか「2度と行かない」とか。
大体そんな口コミばかり。
もー、それなら一体どこならいいの?!とあたふた。

さらに休日だったことも相まって、すぐに受診できる病院が全然見つからない。
今すぐは新患は受け付けられない、と言うところも多かったです。

検索する、電話する、当日受診はできないと断られてしまうの連続。

「どうしても今この震えを止めたい。
今日、今すぐどうにかしないと、もう多分わたしだめだと思う。

もう病院探すだけで恐怖で泣きそうでした。

わたし何か壊れたのかもな。実感した一枚の木の絵

その後、なんとか当日受診できる病院が探せました。
そして心理状態のテストの一環として白い紙に自由に木を描いて、と言われます。

震えながら、精一杯取り組みました。
自分が存在しているのが怖い、誰かに否定され続けているようで怖い。
そんな気持ちを抱えながら、恐る恐る。

その時わたしが描けたのは小さな小さな塊のような「木」。
それを見て「あぁ、わたし何か壊れたのかもな」と自覚します。

自分の中から「描く」が消えた。
わたしにとって「描く」は一番の相棒のような存在だった。

心理テストの結果云々の前に、
もう自分がこれまでの自分とは違う状態なことは痛感しました。

そして、診察をしてもらい、
まとまった期間休職できるように医師に診断書を書いてもらうことに。

「休むほどではない、そこまでしなくても大丈夫」などと、世間体や体裁を考える気力さえなかった。

うつむいて、言われた事にうなづくのが精一杯でした。

「もう限界だ」あれは自分からのサインだったかもしれない

今改めて思うと、あの時倒れたのは、
わたしが「もう止まって!限界なの!」と自分自身へSOSを教えるための最終手段だったのではないかと感じます。

なんとか命のあるうちに己に急ブレーキを無理矢理にでもかけた、というか。

あの時倒れてよかった、とまで思うのはなかなか難しいですが
もはや「そうなるしかなかった、致し方なかった」のかも。

かなり長い時間が立った今だからこそ、徐々に人生の中の一つの出来事としてふんわり受け止められるようになりました。

大変ではあった。
でも、なんとか、生きててよかった。

それに尽きるなぁと思っています。


今回はここまで。
うつ病で倒れた、まさにその時のシーンを書きました。

もしかしてハラハラしてしまう方もいたかもしれませんが、いろんな時間と経験を経て、わたしは今は穏やかな気持ちで暮らせています

そして色々な出来事も今また「お絵かき」できるような自分になってきています。
新しく生き方を構築したいと学び始めてもいます。

それの事実が誰かにとって良いメッセージとなる事があればな、とも願っています。

次回は、その後具体的に現れた症状や、最初に取り組んだ小さな一歩の話を書きたいと思っています

【あなたに質問】

自分が今、健全な心身でいられているか、

自分自身を確認する機会や時間は持てていますか?

(※わたしは倒れた当時はこの先どうしよう、とは考えているものの
今の自分を見つめることは意識できてなかったです...)

今後も、「自分とうまく付き合いながら心地良く生きる」をテーマにnoteを書いていきたいと思います!

例えば「新しい生き方に出会うためにとっている行動」のことなども!(最近はまったく未知の領域、「NFTとは何?」を知りに新しい扉を開けております)

別の記事や発信も楽しく読んでいただけたら嬉しいです。
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それではまた!

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