見出し画像

少年の悪質いたずら【ペロペロ】は増える

少年の悪質な動画、それらは承認欲求のためとされている。
私が知ったのはコンビニのアイスケースに入った事件。その後、スシロー事件などペロペロやらそれに類する事件が増えたが、きっと、この先も増えていくだろう。

問題はこれらの事件が撮影者含め複数で行われているにもかかわらず、映っている実行者つまり演者にすべての責任が回っていることだ。挙句にそれを指摘するとペロ少年を擁護するのかと怒鳴りつけられかねないため、「ペロはよくないですが」のエクスキューズが無駄に多い。この、聞く人のレベルが低いと思わざるを得ない話者の偏見問題は、事件を起こしている人物から見れば、社会に隙ありと映るだろう。

これらの事件はそもそも社会に拡散し、演者を社会から袋叩きにさせるために企画されたものだ。
事件は撮影者がディレクターを兼任していた印象がある。もっといるかもしれない。店内や駐車場には防犯カメラがある、彼らがどのような人数でどのような動きをしたのか映っているだろう。出来るだけ詳細な事実が知らされるべきだ。企画した張本人は外で見張りをするなどと言って撮影隊のメンバーにはいないように思う。ディレクターは、これが誰の企画なのかははっきりわかっていない可能性がある。

これはいじめのケースに酷似している。いじめは「あいつお前のこと言ってたぞ」と耳打ちし、ターゲットを攻撃させる。そのあいまいな不安や耳打ちの緊張感や静けさが、いじめ加害者の美意識であって、今回においても事件の下品さも含め、加害者の美意識は感じられる。ただスシロー事件の場合、愚かにも代理攻撃させられているのは世の中のSNSな大人たちだ。

使われる大人がいることで、ペロ事件はふえる。撮影チームとその周辺全てを見つけられない以上、ペロ事件は止まらない。
ペロに類する事件が増えてしまうのは、いじめ問題が学校から締め出され、いじめの発端となる感情に関心が寄せられないままだからだ、と私は考える。

この事件において「本当の被害者はスシローだ、もしくはスシローを愛するお客さんたちだ」という意見は、事件に全く関係ない。
世の中は、また訳の分からない問題がまき散らされたと、もやもやに苦しむが、そこで本当に苦しんでいるのはスシローだと考えることで、自分への被害の意識をかわそうとしているに過ぎない。

この一連のペロ事件を解決しても、いじめはまた別の形で現れるだろう。一人の加害者が多くのザコを使って、一人のターゲットを攻撃する。いじめは、いじめ加害者の人生そのものだ。やめられない。
だが社会人の私たちの生活に不安を持ち込ませないために、「見えているよ、知っているよ」という態度も必要だろう。


以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?