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【雑談】もうすぐ消滅しちゃうかも?


こんなタイトルだと、また植物の難しい話か?と思われるかもしれないですが、今回は日本語の話です。

先日Twitterであるツイートを目にしました。
内容を要約すると、

今の20代以下の人には「失敗したくない」という感情が色濃く感じられるけれど、その背景にはLINEやネットでボッコボコに誰かに叩かれるのを見て育ってきたことがあるのは間違いなさそうだ。

個人的には「失敗したくない」理由は他にあると思っているのですがそれは一旦置いておいて、このツイートを見た時にあることが頭に浮かびました。

違和感を感じる言葉遣い

最近テレビや周りの人達の会話の中で聞こえてくる「すごい」と「全然」の使い方が気になったことありませんか?
もしくは「すごく」、「断然」という言葉をあまり聞かなくなったと思いませんか?

「すごい」は副詞なので本来「すごい」+「作品」のように名詞と組み合わせて使われないといけないのですが、「すごい」+「美味しい」のように形容詞や動詞と組み合わせて使われているのを本当に良く耳にします。

「全然」を使用する場合は、本来「全然」+「問題ない」のように否定形になるはずなのですが、「全然」+「大丈夫」とそのまま使われることが珍しくなくなりました。
(僕の記憶が正しければ、当初は洒落でその違和感を楽しむために意図的に使われていたと思うのですが・・・)

思わず言い間違えることは誰にでもあります。 が、文章の形になっていてもなお、「すごい美味しい」や「全然だいじょうぶ」という使い方が当たり前になっているような気がして、とても違和感を感じていました。

ある仮説

前置きが長くなりました。

これも時代の流れ、言葉は生き物だから仕方がないね。と自分に言い聞かせていたけれど、先程のTwitterの投稿内容を目にした時に、なぜこれだけ定着したのか理由が分かった気がしました。

つまり、こんな仮設が立てられるのではと思った訳です。

何かを説明する際に、「○○みたいな…」とか、「○○とかの…」 のように、本来必要のない言葉を付けてぼかすのは、自分に自信がないことの裏返しで無意識にリスクを下げようとしているからだ。そのような指摘を昔どこかで見聞きした記憶がありますが、それに近い心理が働いた結果なのでは? と。

「すごい」と「全然」の共通点

例えば、「すごい美味しい」のケースでは、
何かリアクションをする必要があったりコメントを求められた時に、
まずは無難な「すごい!」を言っておいて一呼吸置き(次の言葉を考え)、
続けて「美味しい」と感想を付け足す使い方のパターンが増えたからなのではないかと。

また、「全然大丈夫」のケースは、
例えば、誰かに何かを頼まれた時、とっさに、
「全然」(訳:私はこれっぽっちも嫌だなんて思ってないですよ、そう思われたくないです)
と条件反射的に反応するのがクセになっており、その後に「大丈夫です」と続けるパターンの人が増えているからなのでは?
と思ったのです。

どちらも、自己肯定感の低さからくる自信のなさや、周りから悪く見られたくない、争いたくない。という感情が強く言葉に表れた結果とも考えられます。

そしてもう一つの仮説

思考停止

そもそも自信のなさや事なかれ主義とは別の次元で、単純に考えるのが面倒な人が増えていることが背景にあるのではないか?という仮説です。

これも以前どこかで見聞きした話ですが、Twitterユーザーの行動を分析してみると、RTや いいね は押すけれど、リンク先までは中々押さない人が多いということでした。
右から左へのワンクリックは良いけれど、それ以上のアクションは面倒。
そういう背景からフェイクニュースや揚げ足取りが横行する。
そんな内容だったと思います。

言葉の使い方がパターン化すれば、その分頭を使わなくて済む。
つまり面倒なことが減らせる。
もし、そんな考えの人が増えたことが背景にあったとしたら…。

誰かがツイートでこんなことも言っていました。
エビを食べたら「ぷりっぷり」、イモを食べたら「ホクホク」
そう言わなければいけない呪いにでもかかっているかのように、みんな必ず同じ感想を口にする。

そう言えば、テレビの食レポで耳にする「肉肉しい」という言葉。
この言葉もパターン化の意図から作り出された言葉とも取れるのです。
肉を食べたらとりあえず「肉肉しい」と言っておけばいい。
「肉肉しい」って何でしょう?

僕はこの言葉が好きではありません。
語感から「憎々しい」を連想させるからです。
とにかく響きが美しくない。

突然ですが、水辺に行くと「ヨシ」というススキに似た植物を見かけます。
「ヨシ」はもとは「アシ」という名前だったのが、「悪し」を連想させることから「良し」に通じる「ヨシ」に変えられたとあります。

そのくらい、昔の日本人は縁起を担ぎ、語感に気を配っていました。
特に江戸時代は縁起モノへの執着がすごかったそうです。

江戸っ子じゃないですが、「肉肉しい」って粋じゃないですよね。

消えゆく言葉たち

最近の「違和感を覚える言葉遣い」は、自己肯定感の低さから来る自信のなさと、日本人にはびこっている事なかれ主義、そして面倒くさいという思考停止な考えが引き起こした ”言葉遣いのパターン化” が背景にあるのでは? という仮説に至りました。
あくまで僕の勝手な仮説に過ぎませんが、このまま日本語が変わってしまうのも何だか寂しく思います。
惰性でなく、少しでも頭を使う生活を心がけたいと思います。

最後に

今回、初めて植物以外の話題で記事を書いてみました。
noteを始めたいと思った理由の一つが、Twitterで目にした内容について自分の思いを書き留めておきたい というものだったので、ようやく目的の1つを実現することができました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。




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