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思ってたんとちがう妊娠 〜 地獄のつわり編 〜

不妊治療を卒業した。喜びが襲ってくる暇もなかった。

朝起きるとなんだか気持ち悪い。
我慢できないほどではないけど重力がきつい。
なんとか遅刻で職場に出向き、定時ダッシュでクリニックへ向かった。
結果、小さな細胞が私の中に宿っていた。

妊娠したら、パートナーにどう報告しようか。
サプライズがいいか、さらっとがいいか。
結論に至らぬまま夫が帰宅する。

いつものように夕食を終え、
エコー写真でも見せてさらっと報告するかな……と思ったところで

「そういえば、赤ちゃんおるんかな〜」

とんでもないタイミングでつぶやく夫。
無視するわけにもいかないと答える私「ああ、おったで」。


「ああ、おったで」


もうちょっとなんかあっただろうにと思わんではないが
いかにも私たちらしい報告をして「いぇーい!」とハイタッチでお祝いした。おめでとう私たち。


翌日、だるい体に鞭を打ってパート先に出るも、すぐさまトイレに駆け込む明らかに様子がおかしい私。
集中できるできないの話ではないこれはあかんやつやと、父のようにやさしい上司のデスクに這っていき「ちょっと、宿りまして、嘔吐がその、」とかろうじて伝達し早退。

翌日より昼夜を問わずトイレとお友達になりひたすら水面を見つめる日々が始まった。
食欲はない、食べたくない、食べ物を見たくない。
匂いはなにも受け付けない、調味料が少しでも香るとダメ。
水分だけでもと口にした水も、それ以上の体液も枯れるまで吐く。

横になれば余計にむかつき、夜中も幾度となくトイレに駆け込む。
吐くものがなければ謎の白または緑の泡が出る。この緑のがめちゃくちゃ苦い。 たぶん胆汁。

嘔吐が1時間止まらず119コールするも、「(病気じゃないから)産婦人科には運べない」と断られる。
仕方なくビニール袋を握りしめて吐きながらタクシーに乗り込み、合法な範囲でぶっ飛ばしてもらい病院へ駆け込み、生きるための水分を血管へ流し入れてもらう。

と、いうような地獄の日々が丸2ヶ月続いた。 30分に1回吐いていたら最初の1週間で体重が5キロ落ちた。
もう痩せんやろうと思ったらさらに痩せ、ついに小学生ぶりの30キロ台に突入した。
そんなナチュラル減量ウィークにおいても太ももが痩せたのは最後の最後だった。しぶとい肉の塊であった。

「うちの奥さんも1ヶ月ぐらいまともに食べてなかったですわ」と知ったような顔で私をなだめた救急隊員を毎日恨んだ。
2ヶ月経って吐く頻度は徐々に減ってきたものの、吐かない日はゼロ。まともに食事ができるようになったのはさらに1ヶ月半後だった。

合間には入院もした。吐き気止め入りの点滴で生かされたものの、点滴を減らせば元どおりのゲロゲロ怪獣になってしまう。

「妊娠は病気じゃない」という言葉がぐさぐさ突き刺さった。薬もなければ治療法もない、生きるしかない。入院費がバカ高く、1週間で這って家に帰った。

1食1,200円もした病院食。おいしかった気がする(もちろん吐いた)

安定期などあったもんじゃなく、妊娠5ヶ月に突入しても容赦なく嘔気嘔吐は襲ってきた。誰だよ安定期なんて名付けたの。

妊娠7ヶ月でもまだまだ吐く。さすがに毎時間吐くことはなくても、くしゃみの衝撃で吐きそうになることもあるし、普通に朝元気だったのに2時間後に朝ご飯を吐いて昼も吐いて、なんてこともある。

妊娠は個人のものでしかないから、この辛い経験はきっと誰にもわからない私だけのもの。
人生で一番辛かった。
望みに望んだ妊娠なのに、トイレで泣きながら「妊娠やめたい」と訴えた。

そんな私の背中をさすりながら、何も悪くない夫が「ごめん」とつぶやく。
何もできなくてごめん、代わってあげられなくてごめん。でもできることはするから、支えるから。

夫のやさしさが最後の砦だった。

▼神夫エピソード


読んでいただけただけで万々歳です。