それでもやっぱり
負けん気が強くて己の正義感を振りかざしているような子どもだった。
小学1年生か2年生の頃、とんでもない暴れん坊のクラスメイトがいた。
分厚いメガネをかけていた。
「昨日、親に首締められたんだぜ」とメガネで大きくなった目をギラギラさせて威張っていた。
みんな怖くて近寄れなかった。
隣の席になると手を出される可能性がぐんと上がる。
ある日の席替え、隣の席のクジを引いてしまった女の子が泣いてしまった。
「私、代わります」
躊躇いはなかった。
おそらくこの頃からドMだった。
毎日、ぶたれたり、消しゴムを隠されたけれど、そのまま隣に居座った。
どのくらい後だったか、どんなきっかけだったか思い出せないが、あまりにひどいとみんなが騒ぎ出し、暴れん坊は押さえつけられ、何人分もの縄跳びで椅子に括り付けられた。
お代官様の前に引っ連れようかと言わんばかりのぐるぐる巻きだった。
私は固まってしまった。
なんとか「外そうよ」と振り絞って言った。
暴れん坊は「面白いからこのままでいい」と笑っていた。
教室に戻ってきた先生が驚いて縄跳びを外す。
しばらくして、暴れん坊は転校していった。
親に首を絞められたのが本当かはわからないけれど、家庭環境は複雑で荒れていたと母親から聞かされた。
何とも言えない感情に覆われた。
記憶はあやふやなのに、その時の暴れん坊に寄せた気持ちは今も何とも言えないまま残っている。
小学校高学年になると、男女ともにイジメがあった。
男子のイジメはわかりやすい。
数人で囲んで、座っている椅子ごと教室の後ろに追いやる。
遊びの一環だと笑いながらイジメを周囲にひけらかす。
「やめなよ!くだらない!!」
大きな声で割って入った次の日、工作は壊されて、音楽袋はなくなった。
そんなことはへっちゃらだった。
それよりいじめられていた男の子のプライドを傷つけたかもしれないと気になっていた。
いや、たぶん傷つけた。
女子のイジメは陰湿だった。
リーダーが無視するターゲットを指定する。
無視しないと代わりに無視される。
繰り返される無視ゲーム。
もう止めよう…みんな一斉に無視ゲームへの不参加を表明した。
そうしたらリーダーの子が学校を休むようになった。
担任の先生は私たち数人を教室に居残らせ、一人一人にどういうことか問うと、その後とんちんかんな説教を始めた。
一時間近く聞いていた気がする。
その間ずっと悶々としていた。
「反省したなら帰ってよし」と言うから、反省していない私は思いきり手を挙げた。
「全然納得できません」
一気にまくし立てた。
先生が気まずそうに「かすみさんの意見はわかりました」と答えたので、「いや、意見じゃなくて事実です」と被せた気がする。
許せなかったんだ。
居残りの私たちとは別に一人だけ職員室に呼ばれた子がいたと知ったから。
その子が主犯格だ!というリーダーの親情報を鵜呑みにしてると思った。
それと、何もわかっていない先生を論破してやり込めようとしたんだろう。
ずいぶん自分勝手な正義感を持ってたもんだと振り返る。
性分は変わらなくて、中学に入ってもイジメっ子に噛みついて負けて5年間イジメられた。
私立に行かなきゃ良かったと後悔した。
社会人になっても、大好きな先輩の容姿を嘲笑した上司に食ってかかった。
母親になっても変わらず、幼稚園の行事での仕事を転校生のお母さんに押し付けようとする一派に刃向かって、ドラマ化できるほどいじめられた。
やっぱり私は勝手な正義感を振りかざす。
正義ってなんだろう。
若い頃の私は、正義の認識に違いがあるとは思っていなかった。
けれど、万人に共通する正義なんて存在しない。
私の正義が誰かを傷つけたこともあるだろうし、誰かの正義をとうてい受け入れられないこともあった。
一見、良さげな言葉の裏側を大事にしたいと思うようになった。
「素直」に頼って配慮という心がけを忘れないように。
「誠実」に寄りかかって不足を否定しないように。
「正義」を振りかざして己を勘違いさせないように。
それでも「素直」な自分が好きで、「誠実」でありたくて、いつだって立ち上がる準備万端な私の「正義」を大切に生きていたいなと思う。
読んでくださってありがとうございました。
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