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信条つよし

この前お友達とおしゃべりしていて、ふと、私が何故「つながるご縁もはなれるご縁と同じご縁」を信条に生きていけるかということに気づいた話です。


この、つながるご縁~とやらに私が行き着いたきっかけは、息子と同じ病気のお母さんであり、共に苦しい時代を歩んだ友達からの攻撃でした。

攻撃と言うととても物騒ですが、大袈裟ではありません。

言っていないことをSNS上で書かれ、個人的なメールでも暴言だらけの内容が届き、私の心は壊れそうでした。

けれど、お子さんの病状が厳しくなっていく彼女の方がずっと壊れかけていたんだろうと思います。

だから我慢しよう…

けれど、何度振り返ってもそれはあまりに理不尽でした。

私はそのSNSを去りましたが、数ヶ月は恐怖心に苛まされ、その後は憤りが止まらなくなりました。

2年くらいかかったと思います。

自分の中に湧き上がるドロドロした濁りが澄んでいくまで。

今思えば、何度も何度もあらゆるフィルターを使ってろ過していく作業をしていた気がします。

いつの間にか泥水は飲めるほどまでに透明になり、疲れきった心身に染み渡っていきました。

どんな離れ方をしても、あの頃過ごした彼女との思い出は何も変わらないこと。彼女に救われたことへの感謝もいっしょに捨ててはならない、そう思えるようになりました。

それから、私は人との付き合いが怖くなくなりました。

いつかは離れることがあっても、今この時を大切にすればそれでいい。

自分の中で曲げない信念が生まれました。

しかし、付き合いが深いほど辛く、離れ方によっても負荷は大きいものとなります。

それでも、「つながるご縁もはなれるご縁も同じご縁」を貫かなくてはならない理由があります。

私は元々他人からの影響を非常に受けやすく、振り回されるというより、勝手に空回りしてしまうのです。

この空回りのせいでメンタルが不安定になり、結果、最も近く、最も甘えが許される存在に迷惑をかけるのです。

そう、家族です。

いや、子どもたちです。

そんなのダメに決まってます。

母親だって人間だもの…ではありません。

散々甘えてきた自覚があるからこそ、変わらなければなりません。


変わり続ける自分でありたい。


「つながるご縁とはなれるご縁は同じご縁」

己の考えを正しいと信じる信念から踏み込んで、自分で導き出した結果を行動で表す信条として生きる。

その裏側に子どもたちがいてくれたことに気づいたnoteでした。



読んでくださってありがとうございました。


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