タロットっと
少し前のこと。
ひょんなきっかけで「オンラインタロット講習会」に参加することを決めた。
申し込んでおいてこんなことを言うのは憚られるのだが、タロットカードには少し懐疑的な見方をしている。ぶっちゃけ、「何でも言いようなんじゃない?」とうがった気持ちの持ち主なのだ。
そんな私が「え?タロットってこんな感じ?」と驚いて、自分の心を見事に浮き彫りにしてくれた話をしようと思う。
(講習内容は伏せるが、難しいことは何もなかった)
シャッフルしたカードを引くというのがスタンダードな手法なのだが、今回は「自分で選ぶ」という手法が用いられた。
私が選んだカードがこちら。
左は「愚者」のカード。
私はタロットカード初心者中の初心者なので、このカードが別名「フール」という愚か者のカードだなんてまったく知らなくて。
なんて気持ちが良さそうなんだ!
希望に満ち溢れてるな!
って感じたのだが、なるほど、岸壁ギリギリなことに微塵も注意を払っていない…それゆえの…愚か者…??
じゃなくない???
最高じゃん!!
持てる分だけの荷物を持って、お花片手に、斜め上を向く。足元の犬もノリノリじゃん!
タロットカードは正位置や逆位置で意味合いが変わるという。
この「愚者」のカードにも、自由な始まりと表すこともあれば、無責任や無計画と捉えることもある。
そう、全ては己次第。
どうやら「愚か者」に憧れてるらしい。
真ん中のカードは「隠者」
響いたメッセージは、「内観」。
自分と向き合い続けること、歩んできた道のりから得たものを蓄えること、常に探求すること。
こうありたい。
1番最初に決めたカードだった。
この「隠者」のように、自分で足元を照らし、きっとどこかで手に入れた杖を支えに、歩みたいんだな。歩みを止めることも大事にしたいんだな。
うん。そうだよな。
最後のカードは「悪魔」
悪魔を選ぶ人はあまりいないんだろう。講習会でも少し驚かれる。
でもどうしても外せなかった。
その悪魔は「よっ」とこちらに挨拶をしてるように見えた。なんだかちっとも怖くなくて、厳つい顔をしてるから誤解されちゃう俳優さんを彷彿とさせた。
鎖で繋がれた人間の口元はどこかほころびがあって、「逃げようと思えば逃げられるんだけどね」と聴こえた気がした。
このnoteを書くにあたって少し「悪魔」のカードの意味を調べてみた。
なるほど。
悪魔って「誘惑」に打ち勝てるか!?的なイメージなのね。
改めて思うことがある。
「おもむくまま」でいい。
誘惑上等!カモン!ユウワク!
たぶん誘惑に打ち勝てる自負があるからこの悪魔が怖くないんだろうな。
実は「悪魔」を選んだとき、自分の中にある恐怖心を許容しようとしてるのかと想像した。
いつだって「恐怖心」を真ん中に置こうとするな(笑)
これが私の囚われ。
でもね、1つ成長したなと実感できたんだ。
最後の最後で外したカードがある。
それは数年前、息子の心を知りたいと願って占ってもらったときの1枚。
足首を紐で縛られ吊るされた男のカード。
ともすれば、見るのも苦しくなる絵柄だが、その姿に後光が差しているのだ。まるでその状況を受け入れて、なお何かを悟っているようなそのカードを私は選ばなかった。
息子と自分をごちゃまぜにしなくなった。
私が数年かかって得られた数少ない1つ。
生きるとはなにか。
死ぬとはなにか。
問い続けないことはない。
けれど、そこに縛られたくもない。
悔いのある人生で構わない。
夫に出会えて、息子と娘に出会えて、私の人生の勝利宣言はもう何十回って出来たから。
勝ち負けじゃない?
拘らなくていいじゃない。
それこそ言葉に負けないで。
笑っていたい?
泣いてもいいじゃない。
涙は体の温度の分だけあったかい。
「そうやって言ってられるのは、今が平穏だからだよ!何かあったらそんなこと言えないんだから!」
どこからかそんな声が聴こえることがある。
そうかもしれないね。
わかってるよ。
そんなのわかってる。
でも、それでもそうありたいんだもん。
いいじゃない。
根っこにあるのはいつだって「良いも悪いもない」で、それは私の生きるお守り。
誰かにもらったものじゃなくて、必死に探し続けて見つけたお守り。
えらいなぁ…このお守りを手に入れた私。
え?着地が自分褒め??
タロットの話、少なっ!
でも、タロットへの意識はまるで変わって、正位置とか逆位置とか拘らなくていいことを知って…タロット面白いなって思えました(←結局、良いも悪いもないという結論に持っていく。我が強いぞ(笑))
読んでくださってありがとうございました。
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