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殻は破らない

私は生まれた時から「じゃない方」でした。

亡き父が若い頃、あるものを開発しました。

少しぼかしますが、あるキャラクターのようなものです。

誰もが知っているくらい有名です。

それを受け継いだのが姉でした。

私は、物心がついた頃から「違う方」でした。

姉は「それ」を求められたから苦しんでいたことも知っています。

私は「それではない」のが悲しかった記憶があります。


今、姉が「それの殻を破くことができた」と楽しそうに発信しています。

安心安全の仲間に出会えたことで、「それ」ではない「自分そのもの」でいられるようになったそうです。

だから「それ」を存分に使って仕事が出来るようにもなった、その覚悟についても語っていました。

目を覚ましながら悟る…

そのために飛び込む。

けれど、溺れてしまうこともある。

そんな時に仲間がいると心強いよねと。

そう話す姉は、驚くほどに輝いています。

素敵だなと思うし、おねえちゃん良かったね!と素直に言いたくなります。

でも、妹の私は殻を破りません。

それどころか殻をまといたいのです。

こんな人でありたいという殻。

もしかしたらこの告白が、ちょっと殻を破ろうとしてるのかな(笑)

破ってもまとってもどっちでも良い。

ただ絶対に譲れないことはちゃんとあります。

譲れないことだけは殻も何もありません。

それ以外は、安心安全の仲間にも私は殻を被り続けます。

ぽろぽろ剥がれているよと言われそうですが、本人は本気でバレてないと思ってます。

それが私だということ。

たくさんの殻を楽しむ人生でありたい。

今の私はどちらがワクワクするか。

一つずつ破き、解放される喜びなのか、真っ直ぐ見つめ、自分に必要だと思うものを備えていく充足感なのか、どちらも良い。

時に脱ぎ捨て、時に纏う。

その「時」こそが、生きている時間。



映え感が半端ない姉のインスタを見てふとそんなことを感じた夜でした。



読んでいただきありがとうございました。

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