イマイキとイマイツ
2024年1発目のnoteです。
今を生きるとは。
今を慈しむとは。
このお題に答えたいnoteです。
今を生きる
よく聞きますね。
耳タコほどに聞きますよ。
私は何千回と唱えてました。
息子の入院中、病院に向かう車の中で泣きながら「今を生きるんだ」と噛みしめてアクセルを踏んだことも、治療を終えて夕焼けに包まれる子どもたちの背中を見つめながら「ああ、今を生きている」と痺れるほどに感じたことも、ひたすらに「今」と「生きる」を掛け合わせていた気がします。
そこにばかり焦点を当てることで、未来の不安を打ち消そうと必死でした。
結果、飽きました(笑)
私にとって、今の「今を生きる」は「呼吸をすること」です。
人は生きるための酸素を取り込んでいますが、息を吸うことに無意識です。
少なくとも私はその瞬間ごとに「呼吸してるぅ!」とはなりません。
けれど、たまに深く吸い込みたくなったりもします。
そうやって吸い込んだ時は、その時の感情もいっしょに体の中に染みわたらせるようにしています。
はああ…しあわせ
子どもの寝顔だったり、突き抜けるほどの青い空だったり、思いつきで行った日帰り温泉だったりします。
すうう…しんどい
気が重くなるようなことが頭をかすめたりもします。
たまにこうして、無意識にポッと湧き上がった気持ちを感じながら呼吸をしています。
今を慈しむ
これはしません。
というか、してます。
おい、なんだよ!と言いたくなることを書いてしまいました。
慈しむぞ!と思って慈しむのはなんだかピンとこないからです。
「今を慈しむ」は私にとっては結果論です。
振り返って、「慈しんだ気がするぅ」くらいでちょうど良いと思ってます。
最後にこのnoteで伝えたいことを改めて考えてみたら、バクゼンさんが生きている「今」が愛おしいということでした。
バクゼンさんの全てを知っているわけではないけれど、歩んできた軌跡の中で積み重ねてきた眼差しが私の背筋を伸ばし、何十年かけて刻んできた手のひらの皺は私の背中をあたたかく擦ってくれたからです。
そんなバクゼンさんの今が私はとても愛おしいのです。
自分の「今」より誰かの「今」を慈しむことがもしかしたら私の「今を慈しむ」なのかもしれません。
読んでくださってありがとうございました。
遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくおねしゃす!!
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