すきのとげ
何故天狗が好きか…
それ、前noteに書いてたよって突っ込んだ方、仲良しですね、こんにちは。
天狗を好きな理由は、天狗って人の勝手で決められたのに神様になってもカッコイイし、妖怪役で登場しても激強だからである。
諸説あるが、天狗は西欧から漂流した外国人だったという説を私は好んでいる。
山に追いやられた異国の人なのだとしたら、どれだけ寂しかったか、怖かったか、悲しかったか、計り知れない。
始まりの天狗を想うと胸がぎゅうとなる。
今の天狗を想うとおずおずと近寄りたくなる。
言えるだろうか。
てんぐぅーすきぃー
いや、言っていいのだろうか。
てんぐぅーすきぃー
私はすぐに誰かに好きと言う。
最近、その軽々しさは棘を持っているかもしれないと感じる。
大事なことを躊躇いもなく放つ。
簡単にそれを言えない人は、簡単にそれを言う人が放つ言葉にざわつくこともあるだろう。
最近つくづく思うんだ。
生きてるだけで誰かを傷つける。
傷つくことも傷つけることも、それはまるで歩くことや食べることと同じくらい身近なこと。
だから棘が刺さらないようにあったかくてやさしい何かに包まれていたいし、包まれていてほしい。
それは、自然から恵まれる心地良さだったり、誰かの描く絵の力だったり、家族と過ごすあたたかさだったり。
どんなものでもいい。
けれど、刺さることを恐れて過ごしたくない。
だってあたりまえに起きることだから。
刺さったら抜けばいい。
必ず抜けるから。
その棘が痛いのなら、よく見つめること。
きっとすっと抜ける角度がある。
でも裏側に刺さった棘は自分では見えない。
だから誰かと生きるんだろうね。
誰かに傷つけられるけれど、誰かが抜いてくれることもある。
誰かを傷つけることもあるけれど、誰かの力になれることもある。
だから私はいつだって言うよ。
すきぃ。
読んでくださってありがとうございました。
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