カンニングが嫌いな0点女子。



比喩ではなく、小学校3年生辺りから勉強に躓いてそのままな私も、気づけば我が子達がその年齢を超えていくようになった。


長男は6年生で次男は4年生。
2年の長女には3桁の足し算の答え合わせが遅くて、よくクレームを受ける。つら。


とにかく算数。
算数が爆裂に弱い。


だから消去法で、私は文系。


そう思いながら生きてきたけれども、最近長男と漢字の小テストについての話をしていたら、ふと思い出したことがあった。



そういえば、、私は、、わりと漢字も書けない、、、!!!

ていうか他にも読解力の問題を、自信満々で間違えている、、、!!!


もはや、、文系でもない!!!


!!!!!!!!




というかそもそも、「勉強」というものを勘違いしていたのだ。
そのことに最近気が付いてびぃっっっくりした。



授業で聞いたことを一発で理解できないから、「私は勉強ができない」というレッテルを自分に貼っていた。

けれども、ほとんど寝ているか友達に手紙や交換日記(!)を書いていたりで聞いていない授業が分かる訳がない。
どんだけ自分を買いかぶっていたのか。あーこわ。



こういう系の話は、若い頃のちょい悪自慢みたいで逆の羞恥心が働いてしまうのだが、私は本気で「学校」や「勉強」というシステムや社会におけるそれらの概念が掴めていなかった、シンプルに気の毒な人だったのだ。


「勉強ができない」と思いこんで育っていたけれども、それは単に予習も復習もしないから分からないだけ。当たり前の話。

とことんシンプルなその答えにやっと気付いたのは、32歳でまた学生をやるようになった今。

だいぶ大人になった今やっと、分からないところは繰り返し復習し、テスト前には先生やクラスメイトが「ここ出るよ!」と事前に教えてくれている範囲を勉強する。


「学校」という仕組みの中では高い点数を取ることが不可欠で、「勉強」というのは理解するまで繰り返す事なんだという当たり前のことを、昭和生まれが平成を越えて令和になった今やっと、そのシステムを把握することが出来たのだ。あーこわ。






そして、、




今から書くことを驚かないで読んでほしいのだが、心の準備は出来ただろうか。
(もう今までで十分驚いている気持ちはお察しします。アーメン。)



私はそういう、一途の友達だけで共有する様な「事前にここが出る」という情報を「フェアじゃないな」と思っていて、知ってしまってもそこに取り組むことに抵抗を感じて話半分で聞き流していたし、テスト前ギリギリに詰め込む情報は、「そもそも覚えきれていない事だから本来の実力ではないし、そんな繕う行為はいかがなものか」という、謎の美学を備えていた。

恐ろしいことに、わりと最近まで。
(現在は何度か赤点を取り、各教科毎に2000円を支払い、すーっと目が醒めて戯言は封印しました。)



だが思う。私の考えはなんとなく一理あるようにも聞こえないか?


しかし!それならば!そうであるからこそ!


日常的に勉強をする習慣を身に着けているはずであろう。そんな美学を持ち合わせているのならね。

けれどもかなしいかな、今よりも濃度の濃い、あらぬ方向にまっすぐ美学の原液だった子供の頃の私は、「姑息な手段を取るくらいなら、“私は分からない”という事を表明する。以上。」という、本当によく分からない真っ直ぐさで生きていた。



当たり前だけどそんな私のテストの点数は、いつも強烈に低かった。


小学校6年生の時に毎週あった漢字の小テストの答えを、何故か毎週机の上に置きっぱなしにしていた(ポンコツ)先生。

それを大喜びでみんなにシェアしていたお調子者のAくんと、浮かれたクラスメイト達。

そんな彼ら彼女らを横目に、「私は絶対あれを見てはなるものか!」と、固い誓いを1人結んでいた。私は私に誓い続けた。

いつもほぼ0点を取りながら、、




義務教育はいい。
そんなちぐはぐな美学を叩きのめさなくても、根本的なところを見直さなくても、春が来れば勝手に進級できる。
素晴らしく置いてきぼりをつくるシステム。


そんなこんなで見事勝手に中学生となった私は、相変わらず勉強が出来なかった。


そして、相変わらず真っ直ぐな子供だった。
あらぬ方向に。



「理解はできたけど、納得はできない。」


これが中学生の頃の私の口癖だった。


縦社会や上下関係には従順過ぎるほど従順なナチュラルチキンボーン(私)は、けれども人間の好き嫌いが激しかった。


「先生は敬うものだ」という昭和初期の価値観をゴリッゴリに持ち合わせながら、同時に「なんでコイツが教員やってんだよ」と嫌いセンサーに引っかかってしまった人間は、私の中で弾圧されていた。


そういう思いを自分の中に持つのは、健全な中学生の証だと思う。

「あいつウザくね?」なんて、若者たちの中では「こんにちは」みたいなものだ。


今の私には分かる。分かるんだけれども。
先程もお伝えしたとおり、私は仕組みに疎い。
「そういうものでしょ」が、どういうものかが分からない。

32年生きてきた今でも、まだまだそんな事が日常に散りばめられている。

それでも、そうは言っても、32年かけて原液を稀釈しながら生きてはきている。

だから、今の私には「社交辞令」や「なんとなく」や「〇〇が言ってたから」といった感覚があるんだということは理解出来る。


けれども13歳の私には、色々難しかった。
そして彼女はあらぬ方向に真っ直ぐなだけではなく、無駄に正義感の強い女の子でもあった、、



続く



前回のおはなしはこちら



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