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ヒロイズム・ストックホルムは・人殺す

大切な人に会うという計画、継続中です。
一旦僕の中の大切な人、の基準を言います。

まず、当たり前だけど性格上無理な人は大切に思えない。
大切だから性格無理だけど大切、とかはない。
無理なもんは無理です。
次に、自分の音楽や配信活動を愛してくれる人、これは大事ですね。当たり前だ。
これは言葉ではなく行動を見てれば本当に愛してくれているかどうか分かりますので、まあ口だけだなって人は見てれば分かる。
次は、個人的に好きな人、これも当たり前ですけどね。
これは恋愛対象とかじゃなく愛して止まない人たちって一定数いるじゃないですか。誰しも。
例えばそれがミックジャガーとかエリッククラプトンとかだったら大切に思えるかって微妙だけど、
身近にいたらね、そりゃあ尊敬しつつ大切にしますよねっていうだけの話です。

はい、ほんで、昨日めちゃくちゃ恐ろしいことが起きたんですね。
大切だと思う人、これは上記で分かるかと思うんですが、
これが例えば異性だった場合、それにその人が現在進行形で悲劇的な立場だった場合、
当たり前だけど助けたい!って思いませんか?
僕は思うんです。
程度は人それぞれですけど、僕の場合はもう本当に超本気で助けたいって思うんですよ。
例えば、うーん、そうだな、
財布落とした!とか。知らん人だったらまあ人によるかも知れんけど、お、大丈夫か大丈夫か?みたいな話じゃん。

ただのヒロイズムなんですが、僕の場合は大切な人が困っていたら財布が見つかるまで探してあげようと思うんですね。
本当にただのヒロイズムです。
自己陶酔。要はそんな自分が好きって話です。

ほんでね、昨日起きたことが恐ろしくて、実体験なんですが、
これフィクションとして聞いてくださいね。

本当に自分の自傷行為に悩んでいる人がいて、
その人が大切な人な訳ですね、僕にとっては。
そうすっと僕は自分のヒロイズムが発動するわけですね。

助けなきゃ!
川の中に!石が!あでゅ!

っつってね。
だから本気で止めようとするわけですね。
そうすっともう入り込んじゃう訳ですね、その世界観というかその人の主観に。
そうすると倫理観がちょっとズレるんですよ。
これすげえむつかしー話なんですけど、本当にあって、後にならんと気づかんことなんですが、

これも例えばで言うと、自分は絶対タバコなぞ吸わん!って思ってた人に好きな人が出来たとしましょうね。そんでその好きな相手が煙草を吸ってるとするじゃないですか。
それ、自分もなんか吸ってみたくならん?
っつー話なんです。
倫理観がねちょっとズレるんですよ。感情で。
これが恐ろしいレベルまでいくと、覚醒剤やら大麻やらって話になりますでしょう。

あとはDVとか。日常的に受けていると彼は私が助けなきゃ!とか、本当は優しい人だから、、、みたいな気持ちになるけど、それってただの共依存じゃんって話ですから。

って話と一緒で、本当に自己陶酔でしかないんですが、
ヒロイズムが発動したことにより、同情も発動する訳ですね。
アンパンマンが自分の頭のパンを分け与えるのは同情からですよね。
ヒロイズムってのはそーゆー話なんですが。
んで、その同情が発動すると何故か、何故か分からんが、自分も自傷行為に走ったりするわけですね。
んで、なおかつその人のことが好きになってきてしまう。
これが恐ろしい。
同調してしまうんですよね。

なんと言ったか、えーと、ストックホルム症候群ですね。

自分は誘拐されたはずなのに、犯人と一緒に過ごすうちにその犯人に同情してしまって、そのうち好きだと錯覚してしまうっていう現象のことです。

んで僕はそれを実際に体験してしまいまして、その自傷行為を止めようとしてたのに、最終的には加担していて、それでその人のことが好きだと勘違いするところまで行ったんです。

これ超恐いんだけど分かるかなあ〜〜〜〜〜〜〜すげえむつかしー話ですよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それが実際に起こったの。
でも、それって残酷でしょ?
ただの妄想なんだから。

以前話した、アンパンマンはパンを与えるだけでパンの作り方は教えないって話。
本気で助けるならパンの作り方を教えなさいよって話なんですよね。
でも表面的なヒロイズムに浸ってしまうと、
自分でも分からんうちに助けてる気になって、その人に寄り添って、自分も一緒に傷つくことで助けられる、という錯覚に陥るんですね。

これは残酷です。
その夢って醒めるんですよね。
中途半端なヒロイズムは醒めます。
そのうち気づいてしまう。
あ、これは錯覚だ!って。
これが残酷。もうその瞬間から助ける気なんてさらさら無くなってしまうから。急に。
助けたいと思うなら最後まで責任持ちなさいってのは分かるんだけど、ビミョーーーーーな差で、そのストックホルム症候群みたいになったりもしちゃうんですよね。
自分から。

んなら、助けないか、確かな覚悟をもって最後まで責任を持つか、の二択です。
どっちでもいいんです、結局。
中途半端が一番ダメって話なわけですから。
中途半端な同情、これが一番残酷だよね。って言うだけの話です。
僕はこれを親友に気づかせてもらいました。
ハッッッッ!!!!!危なかった!!!この同情は愛情とは違うぞ!!!!!と言う風な具合に気付けました。
マジ感謝。
持つべきものはマジ親友。
悪い奴らはまじ親友!
持つべきものはまじ親友!
YO!YO!

僕も深夜テンションで書いてますから。
そりゃ面白くないギャグも言いますわな。
これね、デジタルタトゥーですから。
黒歴史ですから。
自分でもわかってやってますから。
許してちょんまげ🥸

全部フィクションだと思ってくださいね。

そういうわけなんで、中途半端な同情や、中途半端な手助けは逆に相手を傷つけますよねっていう話でした。

今日の片野メランコリー哲学講座はここまで!!!
さよーならーーーー!!!!!

追伸
この理論でいくと自殺を公表した時点で、誰も僕を助けることができなくなり、僕は結局孤独なまま死ぬのではないか?という恐れが出てきます。
まあでもフィクションなので、全部。
平気っしょ!!!
つーか、これからっしょ!!!

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