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人はなぜ、自殺する?

自殺者  21007人(令和3年警察庁より)
交通事故死者  2636人(令和3年警察庁より)

他の年を比較しても交通事故死者数の
「4倍以上の人」が自殺で亡くなっています


これから導き出されることは、
出かける相手に「事故に気をつけてね」と言うのではなく、
「自殺に気をつけてね」と言うのが正解なのです
冗談のようですが本当のことなのです

自殺はとても悲しいことです
でも、なぜ、死を選ばなくてはいけないのでしょうか?

実は「自殺は本能」なのです

〈自殺は痛みや苦しみで死ぬのではない〉

マラソン大会で苦しくて「死にそう」と思うかもしれないが「自殺しよう」とは思わないです
苦しから死ぬのであれば、マラソン大会の度に自殺者が増えるはずです
痛みで自殺するのであれば、マラソン大会の後の筋肉痛で自殺する人が増えるはずです

これはマラソンだけに限らず、他のスポーツや風邪などの病気でも同じです

この他に20〜39歳までの死亡原因の1位が自殺となっています
痛みや苦しみは老人に起こりやすく、若い人は肉体的には健康である可能性高く、老人と比較しても痛みや苦しみに悩む確率は低いといえます

これらのことより、痛みや苦しみから死を選ぶという理屈では説明がつかないのではないでしょうか?

〈自殺と生存本能の矛盾〉

生存競争の中では惨めでも生き残った者が勝ちの弱肉強食の世界です
全ての生物には生存本能があり、生き残りの為に、生存競争を必死に生きています

自ら死ぬことは生存競争での負けを意味します
自殺は自らの生存本能に逆らっているよう見えます

自殺には自らの生存本能を凌駕する何かがありそうです

〈種の存続のために死を選ぶ〉

生物単体で見れば、自殺は生存本能と矛盾した行動となります
ですが、もう一つ引いた全体的な視点ではどうでしょうか?
種族全体で見ればどうでしょうか?

鮭は産卵から7〜10日ほどで餓死で死んでしまいます
生存本能に逆らう行動です
ですが、親が生き残った場合では稚魚とエサの争奪が起こり、稚魚が生き残る確率が下がります
鮭の親は自ら餓死することにより、死骸を周囲のプランクトンに食べさせ、プランクトンは死骸を食べることにより増え、稚魚のエサとなります

鮭の場合、自ら死ぬことにより、次世代の生存確率を上げるのです

人の自殺もこれと同じではないでしょうか?

人も昔を辿れば、飢饉など食料確保が難しい時代を何度も乗り越えてきています
食料確保が難しい時代では、群れに貢献できない個体が減った方が有利です
自ら死ぬことにより、群れの食料事情の改善となります
自らの生存本能に逆らうことが種族全体の生存競争に有利に働くのです

人間にもこの本能がプログラムされているのです
生存本能よりも上位に「種族を優先する本能」があるのです
だからこそ、種族全体の為に貢献できない者が自殺するのです

〈群れを優先する本能〉

働きアリ、働き蜂は群れのために働きます
この両者は子孫を作りません
ですが、群れが生き残れば、自分と近い遺伝子が次世代へと引き継がれます

第二次大戦において、神風特攻隊は飛行燃料が片道分しかない状態で出撃しました
死ぬことが確定した状態で出撃したこととなります
生存本能を優先するのであれば、敵前逃亡することが唯一の道となります
ですが、敵前逃亡することなく、国を守るために自らが犠牲となりました

日本の法において、一番重い罪は外患罪となります
外患とは「団体の外部や外国から圧迫や攻撃を受ける心配」のこといいます
つまり、国家を転覆させることです
殺人よりも国家を転覆させることの方が罪が重いということになります
日本の法も個人よりも日本という国を守ることを優先しているのです

人間においても群れを優先させる本能があるのです

原始時代において、人間も群れで生活していました
群れで狩りをして食料を集め、
群れで外敵に対抗し、
群れの中で結婚して子孫繁栄を築き上げてきました
何事も群れで行動してきたからこそ、群れを優先させる本能を持つことが群れ自体の生存に有利に働いたのです

その群れに属することで個としての生存確率も上がるのです
だからこそ、生存本能に「群れに属したい」という本能が組み込まれているのです

・SNSの批判にさらされて自殺を選ぶ
・いじめられて自殺を選ぶ
・会社からクビを宣告されて自殺を選ぶ

昔の日本では島流しは死刑の次に重い罰とされています

これらの共通としては集団からの追放を意味しています

何事も群れで行動してきたからこそ、群れから追放されることに強い不安を感じるようにできているのです

〈自殺の理由〉

自殺の3大理由
・健康問題   38%
・経済生活問題    14%
・家庭問題    14%

「群れへの本能」という視点から自殺の理由を見てみるとどうなることでしょうか?

「群れへの貢献」を当てはめてみると、

病気や怪我では他の人に貢献することができません
生活が苦しい状況であれば、孤独であることが多く、他の人に貢献する余裕がありません
家庭問題も家族間で仲が悪く、家族に貢献できていないと感じることでしょう

どれも他の人への貢献できない状態にあるといえます
つまり、「他の人に対して役に立たなくなった」と感じたときに自殺は起こると言えそうです

〈自殺の先にあるもの〉

加害者に復讐しようと遺書を残して、自殺をしても加害者は何も感じません
何か感じる心があれば、イジメは発生していません
彼ら彼女らにとってはイジメは集団を守るための行動であり、集団に合わない異分子を排除するための正義の行いなのです
集団を守るための行為だからこそ、反省はしないのです

人としてではなく、生物として見れば、自殺は相手の養分になるだけの行為なのです

泥臭くても惨めでも生きることが生物としての成功なのです

〈幸せを考える〉

必ずしも旧石器時代の本能に従う必要はありません
幸福なことに、日本という国においては生活保護もあります
贅沢せずに食べるだけだけならば、無理なく可能なはずです
本能のままブラック企業に潰されるくらいならば、一時的に本能に逆らう必要もあるかと思われます

ただし、長期の視点で見れば、集団に属したりして貢献した方が本能に逆らうことなく生活できます

自分だけの為の人生よりも、広い視野を持って、自分と他人も含めた人生を考えることが重要と言えます
他の人の幸せのために行動することが自分の幸せにもつながるのです



カタチミの提供でお送りしました。

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