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英雄の魔剣 38

 王子は、王族専用の医療室から出た。出る頃にはすでに完全に元気を取り戻していた。
 グレイトリア・キアロ姫、すなわち第二公爵家の娘は、アレクロスの考えに賛同しなかった。いろいろと後ろ暗い実験や研究をやって来たエルナンデ第一公爵家と違い、キアロ家はずっと、地道ながらも陽のあたる場所を歩いて来た一族である。グレイトリアとしては家名に傷を付けたくはないのであろうとアレクロスは考えた。

 むろんそれだけでもあるまい。第二公爵家の令嬢は、アレクロス自身の名誉に傷が付くのも恐れている。建国以来、臣下筆頭のエルナンデ家がしてきた事、それを考えれば今さらのような気もした。それでも、グレイトリア姫の言う意味も分かる。毒物を使うのには、魔物を実験体にするのとは異なる闇と狂気とが感じられるのだ。

 魔物の研究によって実装される実践的な強さ・力と異なり、毒物の使用には、ただただ陰湿さと非力さが見えるのみだ。力がある者は毒になど頼らぬ、と人々は思っている。また、勇気ある者も、毒になど頼らぬ、およそまともな者なら誰であれ毒は使わぬ、と。

 魔物の研究は陰惨でも、明快な力、堂々とした戦いに通じる道だ。毒物使用の研究を始めたなら永遠に、明るい英雄譚にはつながらないだろう。グレイトリア姫はそう考えているのであろうし、アレクロスもそう思う。

 セシリオもサーベラ姫も反対するであろう。それは、二人に伝える前から目に見えて明らかである。

 王宮内の自室に戻る。そこから隠し通路を抜けて《研究所》へ向かった。魔術による明かりを、今は持たずにいた。代わりに、庶民の家でも使うような獣脂の蝋燭(ろうそく)を使ったランタンが手中にある。

 アレクロスとしては、地下世界の湖の底で《湖の王》に言われたことが気になる。
 三年を庶民として生活すれば《伝説のワンド》を手にすることが出来る、と。
 しかしワンドはあの時消えてしまった。あれは自分の心情・願望が生み出した幻だったのか。一方で《湖の王》と呼ばせてもらったあの真紅の鯨は確かに存在していた。生きて、赤い血が流れて、そして死んでしまった。いや、殺されたのだ。《奈落の侯爵》に。

 わずかな間の出会いではあったが《湖の王》の死にはいろいろと思うところがある。もっと上手く《奈落の侯爵》に対処していれば助けられたのではないか。どうしてもそう思うのである。
 とにかくあの一件ではっきりしたことがある。魔物は人間にとってだけの敵ではない。他の種族にも敵となり得るのだ。

「これでまた一つ、大きな大義名分が出来る」
 そう独り言を口にした。その声は、幅の狭い隠し通路に小さくこだまする。

「人間以外の種族と手を組むのを考えたい。出来ると思うか」
 《研究所》に着くなりアレクロスは言った。相手はセシリオでありサーベラ姫である。

「と、申されますと」
 セシリオは聞き返してきた。王子の案に疑いがあるのではなく、ただ詳細を知りたいとだけ考えているようである。

 《研究所》の天井は高く内装は立派である。王宮そのものの内部とも変わらぬくらいに。ただ、より装飾は少なく質実な有り様ではある。ここはいつも魔術による灯かりで明るい。
 《研究所》の一室の中に、横長の卓をはさんで、アレクロスは二人の臣下と向き合っていた。

「《湖の王》の身に何があったかを覚えているな」
「はい、酷い有様でございました」
 サーベラ姫は俯(うつむ)きがちに答える。
「魔物は、少なくとも消滅させたアンフェールは、人間以外の種族も平然と犠牲にするようだ」
 と、アレクロスは言う。
「そうです、これで向こう側の『人間への復讐』は成り立たなくなります」
 サーベラ姫はまた答えた。
「……建国王の時代にあった出来事が、奴らの性質を大いに歪ませたのは事実であろう。だがそれとこれとは話が別だ」
 アレクロスは言った。
「今生きている者、特に王家とも建国以来の旧家の貴族とも、一切関わりのない平民たちには関係のない話でございますから」
 その兄の言に、
「《奈落の侯爵》は、そう考えていないのでありましょう。おそらくは他の魔物たちも」
と、妹姫は言う。
「私たちからの恩恵を受けている者、私たちが庇護下に置く者は、皆(みな)彼にとっても悪(にく)い敵なのでありましょう」
「ああ、そうなのであろうな」
 だが、ためらってなどいられない。過去の我が方の過ちがどうであれ。アレクロスは前の自分にはなかった冷徹さを今は備えていた。

「この王国には西の方に山脈があり、有力な人間ではない種族が住んでいる。そこにこちらから使者を送り、協力を求めるのだ」
「《山の種族》でございますね」
「そうだサーベラ姫、《山の仙人》は中でも力と知恵のある存在だ。どうしたわけか、仲間内での地位と名声を疎(うと)ましく思って旅に出てしまう者が多いようだが」

 姫はそれを聞いて笑う。
「気持ちは分かりますわ。私もそうしたいと時々は思いますの」
「そうか」
 アレクロスはそれだけ言った。何故なのかは問わない。幼い頃から課せられてきた、姫の責務と不自由な暮らしは重々承知である。
 そうだ、もちろんそうである。
 辛い思いをしてきたのは自分だけではないのだ。以前の自分はそれが分かっていなかった。柔弱と言われるほどに優しいと言われながらも、本当の意味で優しさを示したことがあっただろうか。
 世継ぎの王子としての重荷にしか、思いを至らせられなかったのに。
 厳しいセシリオにも、自分とはまた違う重荷があるのだとは。
 考えたことがなかったのだった。

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