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「あざみの歌」を吹いてみた♪

歌うように尺八を吹いてみたいシリーズ♪です。


山や里に行くと、よく道端に咲いているアザミ。少し紫がかったピンク色で、とてもよく目立ち、葉っぱもトゲトゲしていて、結構大きくて、何となく強そうなイメージの花。
そんな印象でしたが、この歌で少しイメージ変わりました。


」はじまりで、2曲目は「」はじまりです。

ローロレーロ リ(メ)ーチレー

ツのメリ、リのメリ、たくさん出て来ます。


こちらはまた別のショートバージョン↓

ツの中メリ始まりです。



『あざみの歌』



作詩:横井弘作曲:八洲秀章

1 
山には山の愁いあり
海には海のかなしみや
ましてこころの花園に
咲きしあざみの花ならば

2 
高嶺の百合のそれよりも
秘めたる夢をひとすじに
くれない燃ゆるその姿
あざみに深きわが想い

3 
いとしき花よ はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめのみちは果てなくも
香れよ せめてわが胸に
あああー



「あざみの歌」について



この詩を書いた横井弘は、1945年、兵役から復員してきたが、家は東京大空襲で全焼し戻る家も無いため、家族で知人のいる長野県下諏訪町へ転居。これからは好きな詩を書いて生きると決意し、毎日湖畔や山々を散策し詩作に耽り、八島高原でこの詩を書いたそうな。
その詞に、八洲秀章が作曲し、自身の歌唱で1949年8月にラジオ歌謡で1週間放送し、その後、のど自慢等で歌われるようになり、1951年、伊藤久男の歌唱でレコード化されたとのこと。八洲秀章自身も、事故で重傷を負い、農業や兵役への道を断たれるほどの後遺症が脚に残ったが、この病床でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生涯についての書籍を読み、新たに音楽家の道を志すきっかけとなったとのこと。

二人とも、逆境を乗り越えての、努力の結果ということでしょうか。




私はこの「あざみの歌」、倍賞千恵子の歌で最近はじめて、youtubeで聞きました。

美しい歌声…。



こちらは、伊藤久男歌う「あざみの歌」

いいですな〜。




「歌うように尺八で吹いてみたい」なんて言ってますが、人の声には、全く適いません。。。



関連して「赤色エレジー」のこと




余談ですが、


この「あざみの歌」をはじめて聞いたとき、「赤色エレジー」の歌い出しとそっくりだなと思いました。ご存知の方もいると思いますが…。



「赤色エレジー」とは、あがた森魚のシングル曲。



レコード持ってます。



かれこれ30年近く前、知人にもらったもの。

作曲が「赤色エレジー」も八洲秀章となっております。
似ているが、違う。雰囲気や、作品の意図みたいなものは全然ちがう。

調べて見ると、実は、レコード会社側の判断で八洲の作曲と表記したのであって、実際は作曲もあがたが手掛けているとのこと。

偶然とは言え、ビジネスとなるとそうなってしまうのか。丸くおさめたといったところか。



と、いうことで、
「赤色エレジー」も尺八で吹けますが、
やはり、「あざみの歌」の方が合うような気がします。



さらに余談で「赤色エレジー」思い出話




この「赤色エレジー」のレコードをくれたのは、知人のN氏という人。

「幸子の幸は何処にある」という歌詞だからでしょう。(本名です、漢字違うけど)


私はハタチ前後、岐阜の小さなライブハウスでバイトをしていた。その店長の知り合いだったのがN氏。
私より20歳ほど年上であったN氏は、若い頃70年代、そのライブハウスの店長と荒井由実を岐阜市のホールに呼び、その時儲けた金で飲み屋を開いたらしいが、飲んだくれの性分の彼にはそれは長続きしなかったようだ。
仕事を点々とし、そのうち彼女に食わせてもらうこととなり、だいたい県営アパートの一室にいた。
遊びにいくと、彼女がキャバクラに仕事に行く前とかでお化粧をしていて、N氏は布袋さんのような腹をして、炬燵の番をしていた。彼は、60〜70年代の音楽が大好きで、ニューヨークドールズだとか、デビットボウイだとか、ストーンズだとかを延々と聞いていた。私は彼からドノバンを教えてもらったし、きっと色んなことを教えてもらったと思う。

彼の顔は人相が悪くおっかない顔をしていたが、お人好しで、誰にでもレコードや本をあげてしまったりしていた。彼が食べさせてくれた、納豆のオムレツは今でも思い出して時々作る。ちょうど今のようにとても寒い日は、彼の部屋では石油ストーブが炎をたてて燃えていた。

そんな彼は、そのまま酒を飲み続け、仕事は続かず、どんどん落ちぶれていき、彼女にも逃げられ自暴自棄になっていった。
私の大道具の職場が近かったせいもあり、電話が数回かかってきて、私は食べ物の差し入れを玄関先にした時もあった。

ある日、「自殺に失敗してしまい入院してるから着替えを持って来て欲しい」という電話があった。

彼の家に行ってみると、テレビは付けっぱなし、ベランダの窓は開いたままでカーテンが大きく風になびいていた。
映画のワンシーンのようであった。

結局、酔っぱらって階段から落ちただけのようであった。額あたりに青あざができていた。

その後、私も仕事が忙しくなり彼には会わずにいたが、風の噂では郵便局の強盗をしてすぐに捕まり、その後行方知れずだそうだ。
大阪での目撃情報もあるが、どうしているかは分からない。

行方不明の彼の事は、色んな断片と共に時々思い出す。

寒い冬を、真っ赤に燃える石油ストーブを、思い出す。




一体何の話だったか忘れるくらい、

余談の話が長くなりました...。


今日、やっと東京で雪が積もりました。



古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇