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青梅✿梅まつり虚無僧行脚〜吉川英治記念館〜聖地・鈴法寺巡り

「青梅の尺八文化をつなぐ会」の皆さんが参加された、青梅梅郷の観梅市民まつりの虚無僧行脚を見に行って参りました。


「青梅の尺八文化をつなぐ会」の活動冊子

こちらは青梅と虚無僧寺のことなど写真も掲載された素敵なサイト↓



観梅市民まつりの当日は、快晴☀



武者行列に、手作り甲冑隊、虚無僧行列など、沿道も出店や見物客で盛り上がっていました。



ワタクシは虚無僧に密着です。

まずは、紅梅苑前で門付け。

門付けでこんなに大勢いるとチョット怖い笑



そして神代橋通りの行列。



天沢院へ



「調子」の献笛。


参加させて頂きました(恐縮です)

こちらの写真の撮影は古典尺八楽愛好会のメンバーUさん。感謝🙏

この日は尺八研究家の神田可遊師と同志の方に同行させて頂きました。




そして梅の公園へ。

お〜、綺麗🩷🤍

梅の再直裁が完了して4年目だそう。
ピンクと白が美しい。

麗らかとは、このような日の事を言うのですな〜🌸



梅の公園ステージにて。

代表の岡本昌己氏が演奏前にお話されてます。




神代橋通りのパレードでは、武者行列、虚無僧行列の他に、警察パレード、消防パレード、さらには獅子舞、阿波おどりなどなど、超盛りだくさん。出店も沢山でており、この辺り一体がお祭りの雰囲気で、どの道も人がそぞろ歩きをしており、甲冑の人も観光客も、はたまた虚無僧も歩いているという一大イベントな一日。

地元の人に愛される虚無僧であるのが一番なので、「聖地」としてこういった活動がずっと続くと良いですね。


そして、次なる虚無僧関連は、

吉川英治記念館へ。


吉川英治と虚無僧といえば、

『鳴門秘帖』!




主屋


ひな人形展も開催中。



見学には解説員の方がついてくださいました。

この辺りは、チャートと言われる、動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石がゴロゴロしているとのこと。

地球は動いているんですねー、なんてお話も。


広いお庭。


馬酔木が咲いてます。


この日は3月10日。

解説員の方が、今日は何の日でしょう?なんて質問。すかさず「東京大空襲」と答えたのは、神田可遊師。

椎の木

この椎の木の下で吉川英治が息子と一緒に東京空襲を見ていたそうな。

都心からだいぶ離れていますけど、焼夷弾に焼かれ真っ赤に燃えた街と空が見えたのでしょうか。


谷狂竹は戦争中にここ吉川邸を訪れている。

ちょうど、梅の花が咲きこぼれている三月のはじめ頃ということで今頃の季節だ。

昭和十九年になるとはっきり戦局の不利な事が判明してきた。食料事情も一段と悪くなり私は都内の雑炊食堂で粥をすすらねばならなかった。(中略)その頃私は狂竹さんを案内して作家の吉川さんの所に出掛けた。吉川さんの御宅は吉野村にあり武田の一武将の住んでいた家とかいう。まさしく豪族という名にふさわしい構えである。梅の花が周囲に咲きこぼれて清香を放っていた。吉川さんはなかなかのきき上手である、作家としての修練がそうさせるのであろうか。それは吸取紙の如く人の話を吸引するのである。狂竹さんは一生懸命しゃべっていたが話はいつしか大きく飛躍して次第に早口になっていった。終わりには入れ歯がかたかた鳴るだけで何をしゃべっているのか傍できてきても分らなくなった。最早言葉をなしていないのである。
 やがて当時としては豪華な夕食となった。吉川さん御一家の心づくしの宴である。
(中略)

 やがて夜の十二時近くになり吉川さんは一曲を所望された。家族の方々も隣の部屋で待っておられるらしい。しかし狂竹さんは吹かなかった。したたかに酒によわれたのであろう。夜とうとう泊らして戴く仕儀と相成ってわたしは久しぶりに故郷のふとんを思わす温かさの中に身を埋めた。真夜中の二時頃であろうか、ふと眼をさますと狂竹さんが脚絆をつけた黒い虚無僧姿となっている。もう出達かと思って私もあわてておきかけた。私の肩を狂竹さんが無言で抑えた。三月初めといっても奥多摩の夜気がしんしんとして身に迫ってくる。やがて息を整えた狂竹さんの口から低い調べが屋内を揺がしてひびいてきた。私は夜具の中に身をのばして夢の様にきき入った。朝食の挨拶の時吉川さんの顔をみると鼻が赤い。「夜狂竹さんの尺八をきこうと窓をあけてねたら風邪をひいちゃった」といわれた。

松枝ひらく『狂竹記』より


吉川英治氏の人柄がよく分かるお話です。

それにしても夜中の二時にわざわざ脚絆を着けて尺八を吹く谷狂竹。
どういった心境なのか。
虚無僧魂というものなのでしょうか。

洋館
書斎

是非今後の企画では、『鳴門秘帖』、『虚無僧系図』特集をお願いしたいです。



お次は、

沢井駅の方へ向かいます。

寒山寺

寒山寺とは、中国江蘇省蘇州市の郊外にある寺。寒山が草庵を結んだのが起源と伝えられる。盛唐の詩人、張継の詩「楓橋夜泊」によって有名になった。


楓橋夜泊ふうきょうやはく』は、中唐(盛唐50年に続く時代が中唐70年です)の詩人・張継(ちょう・けい…生没年不詳)の七言絶句。

月落烏啼霜満天 
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺 
夜半鐘声到客船


月落ちからす啼いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠こうふうぎょかしゅうみんに対す
姑蘇こそ城外の寒山寺
夜半やはん鐘声しょうせい客船かくせんに到る

月は沈んであたりは闇、カラスが鳴いて一面霜が降りそうな寒い夜  
旅の寂しさに眠れないでいる私の目に、川岸のカエデの葉といさり火が赤々と  
蘇州の町の郊外にある寒山寺からは  
真夜中の鐘の音がこの船にまで響き渡ってくる

中国語スクリプトより



寒山拾得

寒山拾得かんざんじっとくとは、中国唐の時代の高僧、寒山と拾得のこと。文殊菩薩、普賢菩薩の生まれ変わりといわれる。二人とも奇行が多く、詩人としても有名で、禅画の画題としてよく用いられている。

画家の森大狂が、一節切を愛好したと言われている一路居士について『禅の一夕話』(1915年)に、こう書いている。

一路は僧にあらず俗にあらず寒拾と手を携えて行く人なるべし



本堂で、「大和楽」を献奏。



そして目の前には、清流ガーデン澤之井園。



こちらで一休憩🍵 

いやいやこっちでしょう→🍶


私はお土産に。



お次ぎは、虚無僧の聖地。

鈴法寺跡と旧吉野家住宅へ。

昨年の12月にも古典尺八楽愛好会で訪れました。


旧吉野家住宅

「調子」を献笛。


ここにもお雛さま。

左の人は座敷童子?


日本家屋の仄暗さは、山奥の一軒家であった祖父の家を思い出します。
障子や襖、そして畳などの四角いものが、なぜか心が安らぎます。



そして、すぐ近くの、

鈴法寺跡公園

鈴法寺歴代住職墓前にて「調・下がり葉」献笛。



「青梅✿梅まつり虚無僧行脚〜吉川英治記念館〜聖地・鈴法寺巡り」はここ鈴法寺跡地で終了です。
すっかり夕方で、献奏する神田師の影がながーく伸びています。

梅まつり虚無僧行脚、来年も盛り上がるといいですね。
ありがとうございました🩷🤍


古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇