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地雷拳(ロングバージョン4)


 港区に居を構える覇金グループのビルは不夜城と化していた。
 タイピング音、電話の着信、怒号。さらに怒号。それらが止むことはない。生き馬の目をくり抜くような都心では当たり前となった光景だ。
 だが、覇金グループの雰囲気は異様だった。怒号やタイピング音に混じって、鉄の軋む音や打撃音もオフィスの環境音として聞こえてくるのだ。
 音の出所は、DX推進室本部の修練室からだった。
 修練室にソファやシャンデリアなどの調度品は一切ない。代わりに砂袋、バーベル、煮えたぎる鉄桶などが置かれていた。
 カンフーロボ達は、各々の鍛錬を続けていた。
「ハッ! ハッ!」
 鉄のカンフー戦士たちが一糸乱れぬ動きで套路を行なう。
 広々とした空間は熱気に満ちている。LEDの冷たい光が、滑らかな動作に影をつくる。
 その向こうでは、打撃音と金属音が響く。
「セイッ」
 掛け声とともに、打撃を放つ。チタン製の朴人拳がぐにゃりと曲がった。
 カンフーロボの一部は、人体を加工した練習道具を使っていた。人間と同じ硬度の身体のパーツが鍛錬場の至る部分に置いてある。ロボはぶら下がった頭蓋骨を難なく蹴り砕いた。
 新入社員にはこの悪魔的な光景に、異常をきたす者もいた。そうした人材を総務はすぐに解雇した。超人ではないからだ。
 社訓である「超人たれ」への執着は狂気といえた。
 修練室には男がふたり、女がひとりいた。
 男のひとりは覇金恋一郎だった。白縁の眼鏡をかけ、黒々とした髪を後ろになでつけている。背は2メートル近い。山のような男だった。肩が球体と言って良いほど筋肉が発達している。仕立ての良い高級スーツは男の肉体に沿って美しいシルエットを作っていた。覇金グループを一代で興した王とも呼べる存在だった。
 もうひとりは、白衣姿の機械頭だった。
 男は瘤川教授といった。袖の長い白衣を着ている。背は低く、頭は戦闘機の鼻先を思わせる。黒く滑らかな流線型の頭部は、室内の照明を受けて光沢を放っていた。
 瘤川教授は滑稽に見える。
 洗練された機械頭にメガネをかけているのだ。
 ある時、メガネをかける理由を尋ねられた。
 瘤川はおずおずと「怖いのでございます」と答えた。機械で体が変わっても人間として覚えていてほしいというのだ。
 分厚いレンズの向こうには眼と分かるパーツはない。DX推進におけるカンフーチップの技術は確かなものだった。
 女は、覇金紅といった。覇金恋一郎のひとり娘である。DX推進室室長として、カンフーチップの製造から、作戦行動まで仕切っていた。
 紅は恋一郎に頭を下げている。
 ショートカットとモノトーンで統一したファッションが気品を漂わせる。金属光に似た双眸は激情を抑えている。目の奥に悔しさが煮えたぎっていた。
「申し訳ありません」
「はっはは、心配はいらない」
「ですが、我が社のカンフーロボが二体も……ハガネシリーズが負けるなど!」
 紅が呻くように言った。
「問題ない」
 恋一郎に焦りなど微塵もなかった。
「ですが、お父様!」
 恋一郎が紅の肩に手を置いた。
 紅が顔をあげると、恋一郎はタロットカードを取り出していた。太い指が山札から一枚目をめくる。
 恋一郎は一瞥もせず、紅に見せた。
「大勢に影響なし!」
 正位置の太陽のカードだ。太陽は希望と成功を表すものだった。
 瘤川はヒッと卑屈に笑い、紅が歓声をあげた。
 タロットカードは、覇金グループでは特別な意味を持っていた。
 支配者が古来から占いを決定要素に加えたように、覇金グループでは重要な決定は恋一郎のタロットカードが決めていた。恋一郎がタロットをめくれば運命が捻じ曲がってくるのだ。
「お前が研究を重ね、練り上げたカンフー部隊だ。小娘ごときに敗れるなどあり得ないのだ」
 恋一郎は莞爾と笑った。曇りに晴れ間が差したような安心感があった。
「見ろ。お前と私が興した事業だ」
 目の前ではロボ達が変わらず修行をしていた。カンフーロボのひとりが、重い瓶を両腕に吊るして持ち上げる。熱い溶岩に掌打を打ち込むロボ、スクワットをするロボなど、それぞれ鍛錬を積んでいる。瘤川教授と紅が造り上げた風景だった。
「誇りにせよ」
「はい」
 紅の目には決意が滲んでいた。
 「瘤川教授」と恋一郎が呼んだ。
「順調にいっているな。進捗を」
「へぇ」瘤川教授が頭を下げる。大きな頭のせいでふらついた。
「カンフーを見ていただければ」
 瘤川が手を叩く。
ずず、ずずずず……
 鎖を引きずる音が聞こえた。修練室の扉が開いた。カンフーロボたちが鎖を引いている。
 その先には頑丈そうな金属の箱が取り付けられている。大きさからして、人ひとりが入れるサイズだ。
 鉄の棺桶は、合わせて五つ運ばれてきた。
 部屋の真ん中に置かれると、修練室の空気が変わった。中からは物音ひとつしなかった。
がご……
 カンフーロボが棺桶を開いた。金属扉が軋み、もぞりと起き上がる。棺桶に収められていたのは、5人の男だった。鎖で繋がれている。
「皆、選りすぐりの囚人です」
 瘤川教授が言った。
 囚人たちは剣呑な雰囲気をはらんでいた。獰猛な獣のごとく周りを睨みつける。全員が格闘家もしくは素手での武勇がある男たちだった。
 覇金紅は、囚人たちを見定める。
 片目の潰れた巨漢が立っている。背丈は恋一郎と同じくらいだが、質量が圧倒的に上回っている。耳が潰れていた。柔道家から力士になった男だ。身体は脂肪と筋肉の戦車だった。
 その脇には、頭に傷跡のある男が不敵に笑う。敵対した組長の顔を剥いで男は捕まった。刀傷は日本刀が原因だろう。鋭く断ち割られた皮膚の下からは、白い頭蓋骨が垣間見えている。
 長髪の顔の似た兄弟は、物珍しそうにカンフーロボ達を見つめていた。賭けボクシングでは余程名を馳せたのだろう。背筋の盛り上がり方がより合わせた縄のようだ。異様なのは歯並びだ。普通の人間より歯が異常に多い。櫛のように並び、彼らのタフネスを支えているのは目に見えた。
 紅は眉を顰めた。溶け込むようにして老人がいた。胡座をかいてちょこんと座っており、置物のように動かない。殺気だっている周りの男たちと比べて場違いに思えた。
「話は本当だな」
 頭に傷跡のある男が凄む。
「貴様らの一人でもハガネシリーズに勝てば、身元の安全を約束しよう!」
 恋一郎が言った。いかなる手を使ったのか紅には想像もつかない。覇金グループは法律を超えてこの取引を成立させていた。
「あんたたちは、俺たちを雇うべきだな。格闘技が機械に取り代わる日は来やしない」
 紅の眼光が男に向いた。カンフーロボは恋一郎とともに作り上げた傑作だ。それを軽んじる男を許さない。
 男は紅を一瞥すると鼻を鳴らした。
「屑鉄になったらよ、高く買い取ってくれるだろうな。ファイトマネーはそれでいいぜ」
 長髪の兄が肩を揺らした。
 弟の方は、瓶を持ち上げるカンフーロボに興味を持ったようだった。
「中身は?」
「砂鉄だよ」
「なっつかしいな。僕もこれでトレーニングしたもんだ」
 ロボから瓶をひったくる。瓶を縛り上げる紐に指を入れた。腕に血管が浮き出ると、弟は指一本で持ち上げた。
「馬鹿だなぁ。楽してんじゃないよ。手出しな」
 兄が近づいて瓶をふたつ重ねた。弟が手の甲を地面と平行に出した。
「そら」
 兄は弟の手の甲に瓶を載せた。弟の額に、血管がみりっと浮き出た。
「効くだろ」
「いいねぇ……」
 それは拷問にも見えるトレーニングだった。兄弟にはそれが日常なのだろう。弟には悪魔じみた笑みが張りついていた。
 「あーいいかな」とロボは言い出しづらそうにして兄弟の間に入った。
「君たち、それは鍛錬用じゃないよ」
 瓶を持っていたロボが言った。
「それは遊具。私たちは娯楽に飢えてるんだ。打撃の鍛錬が終わったらお手玉にして遊ぶんだ」
 そう言ってロボは瓶を受け取る。両手で器用に投げ遊びはじめた。瓶が宙を舞った。
 はははは……
 ロボ達は一斉に笑った。
「面白くねぇ」
 弟が短く息を吐く。足の動きはほとんど見えなかった。
 宙を舞っていた瓶が割れ、中身の砂鉄が降り落ちた。弟が不敵に笑った。
 それと同時に兄が動いていた。
 もう片方の瓶を兄が拳で叩き割った。
 ロボは兄弟を見て首を傾げる。それが囚人たちには馬鹿にしているように思えた。
「一丁前に笑ってんじゃねぇ。機械のくせによ。人間の真似事しくさりやがって」
 兄がロボを睨めつけた。
「私はHG-17、ホワイトドワーフだよ。君は?」
 そう言った時には、兄は動いていた。それよりも先にホワイトドワーフは動いていた。
 兄の胸骨を貫通して機械の手は心臓を撃ち抜いていた。
 技の起こりはなく、背中にホワイトドワーフの手が一瞬にして現れたように見えた。
「ごお……」
 兄の喉から唸り声が出た。心臓が転がり落ち、床でぐしゃりと音を立てる。兄の喉から潰れたカエルの声が出た。生きているのではない。人体から捻りでた生理現象でしかなかった。
 ホワイトドワーフは間髪入れずに頭に一撃を当てる。くぐもった弟の声が室内に響く。
 弟の口が赤いもので埋まっていた。
 心臓だった。兄の心臓を頬張らされ、窒息しかけていた。
「あの男……」
 紅は目を見張った。弟の戦意は消えていなかった。
 ほとんど白眼を剥きながら、弟は鋼の戦士に一矢報いようとする。ぎこちなく一歩踏み出す。拳を握っていた。
「じゃあっ」
 ホワイトドワーフのモーターが唸りをあげた。風を切る音、肉を切り裂く音がこだまする。機械の両腕が血に染まっていた。指先からぼとっと血が滴った。
 弟が仰向けに倒れるのと、血が床面に落ちるのは同時だった。胸には血染めの八芒星が描かれていた。灰色の囚人服の隙間からは血が溢れ出てきた。瞬く間の決着だった。
 地響きと獣のような雄叫びがした。巨漢の体当たりがホワイトドワーフにもろにぶつかった。機械の身体が、ゆるりと床に受け身を取る。
「こいつらはよ……兄弟でチンピラ殺し回ってただけなんだぜ。こんな目に遭うなんておかしいよなぁ!?」
 巨漢が吠えた。それが合図となった。
「デカいな。俺の出番か……」
 巨漢に負けず劣らず大きいロボがいた。山のような肩をぐるりと一周させて息巻いた。右腕に内蔵された回転機構が回り出す。
 それを遮るカンフーロボがいた。他の機械頭たちと違い、パンダの着ぐるみじみた見た目をしていた。車椅子に座ったスーツ姿の機械頭を連れている。
「スパインテイカー。本社の移転は勘弁願いたい」
 パンダが言った。
「パンパンダ。加減はできる」
 巨大な身体をいからせ、スパインテイカーが言った。
 回転機構が唸りを上げる。スパインテイカーが一歩踏み出そうとすると、身動きが取れなくなった。腕が巻きついていた。蛇のように長い。パンパンダが、回転機構を縛った。ぎちぎちと音を立てている。
「仕方ない……」
 スパインテイカーはこうべを垂れた。
 その隣を鈍色の風が吹いた。
「室長。あとはおれにやらせてくれ」
「ヴァーユ。良い結果を期待しているわ」
 ヴァーユと呼ばれた小鬼は、ヤクザ死刑囚の周りを回った。腕が空気を裂いた。ヤクザはただ翻弄されるがままに首をあちこちに向けた。
「ちょっと頭を冷やせよ」
 小鬼の鉤爪が光った時だった。
 ヤクザものから、鳥のような悲鳴があがる。
 死刑囚は、服を脱がされたように上半身の皮膚が剥けていた。
「はああっ」
 赤黒い肉となった囚人が無様に動き回っている。筋肉の繊維から時折、血が滲むのが痛々しい。
「やっぱり人体こそ良い鍛錬になるな」
 ヴァーユがくつくつと笑う。両目は怪しげに発光し、カンフーチップを起動させていると分かった。
 小鬼は両手の鉤爪を振った。べちゃっと音を立てて赤黒いものが落ちた。髪の毛が絡まっていたのだ。
「ちくしょう……。こいつは親分の赤ん坊を煮て食っただけなんだぜ」
「そうかい」
 残った巨漢が小鬼に突進した。走るたびに床が揺れる。暴走トラックに似ていた。当たれば鉄屑に変えてしえる破壊力を持っている。
 体格差は歴然だった。
 囚人が涙を流しながら轢き殺そうとする。
 小鬼は視界が肉に埋まっても、くつくつと笑っていた。巨漢が轢き潰す。
ぎょおおおっ
 小さな竜巻が巨漢の眼前で発生した。巨漢が最初に感じたのは胸の痒みだった。高速で箒を擦られているような気分だった。竜巻は肉を掃いた。胸骨を掃かれたときには遅かった。
 激烈な痛みに立ち止まろうとするが、己の巨体に乗った慣性は、囚人の決断を許さない。気に入らない奴を殴った腕は塵となった。刑務所の飯に慣れきった胃と腸は、ぶりぶりと掻き出され粉微塵となった。
「ああ……」
 囚人は小さく言葉を漏らした。それが最後の言葉となった。
 小竜巻はきゅるきゅると音を立てて静止した。小鬼が黒い鉤爪を振ると、元の冷たい光が刃に戻った。
「あんたたちがたまに羨ましく思うぜ。死ぬ時にアッという間に肉微塵になったら痛みもなく天国だ」
 小鬼は得意そうにぴょんぴょんと飛んだ。
「あとは、あんただけだ」
 残ったのはこの老人だけになる。老人は沈黙したまま胡座を崩さずにいた。紅には不気味に思えた。
 恋一郎はどう思っているのか。変わらず泰然自若の態度を崩さない。
「ビビっちまったか」
 小鬼が鉤爪を翼のように広げる。片足で立ち、沈み込む。首から下、腰までの上半身が音を立てて回り始めた。爪の刃が風を切り、不穏な音をを撒き散らす。
 巨漢を粉微塵に変えた殺人竜巻だ。

(続く)

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