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新しいことを始められない

  新しいことを始めるのにひどく抵抗がある。人に勧められてもなんやかや理由をつけて嫌だと断ってしまうのは、面倒くささと、自分の生活の中に煩雑なノイズが一つ増えてしまうのではないかという危惧があるからだ。だから新しいことを始められる人間には本当に尊敬しかない。人に勧められた時にとりあえずやってみる、まあいいよ、と言える人はなんというか、街を流れる雑多な騒音を全てひっくるめて良いよと言えるタイプの人間なのだと思う。


  だから私は、身近な人が新しいことをやってみて、これいいよ、やってみようよと誘ってくれて初めて重い腰を上げることができる。試してみたけどこっちの道は危険じゃないよ、と誰かが教えてくれなければ新しいことを始める気にすらならないのだ。私は多分、おんぶに抱っこでなきゃ嫌だというクレーマー気質なのだと思う。まあこれは多少言い過ぎにせよ、頭が硬くて挑戦心がないことは間違いないだろう。


  私が思うに、こういう人間には変な潔さがある。わたしは大学で何回か留年の危機に見舞われたが、これはテスト間際になって切羽詰まった時に意地汚くあがくのを良しとしない自分の性格にも問題があった。過去問集めのために仲良くもない同級生にせこせこし、テストさえ突破できるなら、と自分の時間すら天秤にかけてしまう。その割に効率よく勉強することはできずダラダラと過ごして自己嫌悪したりする。そういう自分が嫌で、テストも迫る間際になると、先生に見苦しく嘆願のメールを出すくらいなら潔く単位を落としてしまおうと思うことが何度もあったのだ。


  社会の歯車として回っていればこのような悩みも多少は緩和されるのだろう。集団で動き、やれと言われたことを恐る恐るでも初めてみる機会があるのは、実はとても意味のあることだ。人と一緒にいればそれはそれで煩わしいこともある。けれど、社会の一員という仮面を被ることはきっと新しいことを始める際には有効なことなのだろうなと最近思うのである。ネットで私と同じように新しいことを始められないという悩みを持っている人がぼやいているのをよくみる。きっとそういう人たちも私と同じように何かを一緒に始める友達に恵まれない、あるいは変な潔さのある頑固者なのだろうなとなんとなく思ったりするのだった。

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