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改めてnoteって面白いと思った

  「休みの日にさ、ボランティアとかしたいな。」
彼女は言った。
「!?」
わたしは彼女が言っていることの意味がよくわからなかったので、思わず驚愕の顔で見返してしまった。彼女はさも当たり前のことを言ったかのような顔をして
「こないだも駅前でさ、ボランティアでゴミ拾いしたよ。」
と言った。わたしは頭の中に飛び回るクエスチョンマークに対応するのに必死で、次にどんな言葉が飛び出すのだろうかと彼女から目を離すことができなかった。しかし話題はそのあと休日にしたいことの話に移り変わり、その話の続きを聞くことはついぞ叶わなかった。


  これは高校の頃の思い出である。わたしは親友と呼べる間柄だったこの女の子のことが大好きだったのだが、彼女が言うことはよくわからないことが多かった。わたしの頭の中からは「休日にボランティアをしたい」と言う発想は逆立ちしたって出てこないだろうし、それが世間一般の意見だと思い込んでいたからだ。


  noteをやっていると、これに近い体験を味わうことができる。どうやったって自分からは出てこないであろう発想を持った人たちの記事を読み「!?」と言う気持ちで読み進める。そのうち段々「この人はこういう考え方に基づいてこんなことを言っているんだな」と理解し、その人となりを知ることができる。実際には喋ったこともない人たちの考えや意見を知れるのがすごくおもしろくて、これが私がnoteをやめられない理由の一つなのだ。


  誰かのnoteをずっと読んでいると、まるで自分がその人の友達になったような錯覚ができる。電脳空間上に放り投げられたいくつもの言葉たちは今日もわたしに”擬似•友達との会話” を運んできてくれるのである。やっぱnoteって良い。あと三百億年ほどはnote株式会社が潰れなければいいのだけれど。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。