今日思いついたお話(前編…?)

  その夜、わたしは泣きながら自転車を走らせていた。生来虚弱の徒であるわたしにとって、この世の中で生きることとは艱難(かんなん)辛苦の集まりである。なにがしかのものにいじめられては泣き、教師に怒られては泣き、しまいには石に蹴躓(けつまず)いたことで泣いた。「馬上(ばじょう)」「枕上(ちんじょう)」「厠上(しじょう)」の三上において人のアイデアは閃きやすいと言われているけれど、確かに自転車の上というのは泣くのに結構適している。田舎の国道沿いなど車しか走っていないので、わたしはこの時ばかりは家から学校圏までのクソ長い田舎道に感謝した。わたしは泣き虫のくせにいじっぱりであったから、あらゆる人間の手助けを頑なに拒み、結果として醜く顔をしかめながらグジョグジョに泣けるのは自転車の上でのみだったからである。

  わたしが頑なに誰からの手助けをも拒んだのは、単にわたしが意気地なしだからというのもあるが、わたしはわたしの根の曲がり方に自信を持っていたからでもある。もし一度誰かに助けを許そうものなら地獄の果てまでその人と共依存的関係を続け、さいごにはその人に迷惑をかけ倒した挙句に自分自身への嫌悪と悔悟から全てを台無しにしてしまうかもしれない。つまり、マイナスかゼロならばゼロを選ぶ。これが高潔な精神であるのかどうかすらわたしにはもうわからなかったけれど、そんななけなしのプライドからわたしはひとりぼっちの道を邁進していたのである。

  そういうわけでわたしは例の如く「うぐっ、ひっ、ぐすっ」としゃくりをあげながら一人で長い帰路、自転車を走らせていた。いったいわたしは何をしているのか、こんなふうに自分をいじめる生活を続けてそれが誰かの役に立つとでも思っているのか、考えれば考えるほどに悲しみは募り涙はとめどなく溢れてくる。しかし自転車の上に乗っているとき、そこはわたし一人きりの世界なのだ。だからわたしは一日の辛かったこと、悲しかったことを反芻しながら人目を憚(はばか)らず涙を流していた。それにどうせこんな薄暗い中では誰も顔など見えてもいないのである。

 わたしはひとしきり自分の捻じ曲がり切った性格を呪い、つぶやいた。「神様、いるんだったら助けてください。」これはわたしのお決まりのセリフであった。本来わたしは神など信じるような性格ではないけれど、それと同時に神様が”いる”ことにしてそれに祈ることが役に立つ、ということに気づくくらいの小賢しさはあったのだ。それは数学者が数学的真実を追い求める時に使う方便のようなものであり、わたしの精神を幾らかでも休めるためのおまじないのようなものでもあった。

  だから”それ”がわたしの目の前に現れた時、わたしは驚きのあまり自転車のブレーキをかけすぎ、危うくつんのめって大事故を起こすところだった。

「オマエ、イマ、ヨンダ?」

  “それ”は非常に醜悪な形をしていた。いかに日本が八百万の神のおわす国といえど、これを神様と呼ぶのは流石にわたしには憚(はばか)られる。”それ”の見た目はよくて貧乏神、悪く言えば化け物であった。メフィストは弱った人間の前に現れては甘言をふかしてその人を地獄に誘ったというけれど、”それ”がメフィストではないとどうして断言できるだろうか?というかむしろどうしてそれを神様だと信じられるというのだろうか?

  わたしは自転車の上で泣いていたことを後悔した。知っている人に見つからないようにわざわざ自電車の上で泣いていたというのに、このようなもののけに捕まっている。やはり無防備な姿を見せるのは家の中とかにしておかなければいけないのだ。

「オマエ、イマ、コレ」

  “それ”は醜悪な顔にさらに笑顔のようなニタリとした表情を貼り付けて、腕のようなか細い何かをもちあげた。”それ”はわたしが一歩後ずされば一歩にじり寄り、二歩後ずされば二歩近づいた。


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