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13年前の挑戦から学んだこと

この写真がFacebookの[思い出]に出て来たので、当時のことを少し振り返ってみたいと思います。

タイに行こうと思ったきっかけ


Giravanz北九州をアウトになり、J Leagueトライアウトにも参加しましたが年齢が高くプレー経験がほとんどない選手がJ Leagueでもう一度プレーするのは難しかったです。

その時に栃木SCとNew Wave北九州で一緒にプレーした久保田 勲が2010年にタイでプレーしていたこともあり"タイのプレースタイル合うんじゃない?"とアドバイスをくれました。

30歳目前だったこと、もう1度JFLでプレーするより日本以外のサッカーをしてみたいという思いからタイに行こうと決めました。

今ではタイでプレーしている多くの選手が個人で発信しているし、タイのサッカー情報を発信しているサイトもあります。またFacebookやYouTubeで試合配信もしているので知ることは簡単になりましたが、当時はほとんどタイサッカーの情報はなく、行かないと分からない状況でした。
*今のインドやインドネシア、ベトナムみたいな感じですね

たくさんの方々のご協力のもと、無事にタイに向かうことができました。

日本の当たり前はタイでは当たり前ではない


着いたのは夜。
大通りなのに街灯も少なくシャッターが降りてる店ばかりで薄暗い道を日本語が話せる怪しいタイ人(大変お世話になった方です)に連れられて、どこにあるのか全く分からないホテルに到着しました。

初めてタイに来てこのホテルに約1カ月間過ごしてました。
一緒にいるのはGiravanz北九州で一緒だった伊藤琢矢さんと長谷川太郎さん。
毎日、蟹チャーハン食べてました。笑
夜にフルーツを買う習慣はこの時から。笑
屋台の衛生管理や街のインフラがまだ整っていなくて汚い印象でした。

翌日の朝、外に出ると店のシャッターが開いていて屋台もありました。人と車の通りも多かったので、今いるホテルが安全な場所にあることにホッとしたのを今でも覚えています。

その日、彼から練習参加する予定だったチームに問題が起こったから違うチームに行くと言われました。急遽違うチームに行きました。元々、参加する予定だったチームも知らされていなかったので動揺はしませんでしたが、考えてみると日本では直前にチームが無くなるとか練習参加先が変わる事はないので驚きですよね。それに、急な事態にすぐ違うチーム(サイドバックを探しているチーム)を見つけられる彼も今思うとすごいです。

そこで行った先がOsotspa M150 Saraburiというチーム。
僕がタイで最初に契約したチームです。

開幕戦は東北にあるKhonkaen FCというチームでバスで8時間かけて向かいました。試合の2日前に現地入りしましたが、前日になって試合で使うはずのスタジアムが使えなくなり延期に。その日はバスで帰って練習になりました。
『This is Thailand』という言葉をこの時に知りました。


OSOTSPA M150 SARABURI(オーソットサパ M150 サラブリー)

会社はラジャマンガラスタジアムの近くにあります。M150というタイでは有名な栄養ドリンクを作っている会社です。社内には日本の大塚製薬(リポビタンD)のオフィスがあり日本人の方が1人いらっしゃいました。
ここはその会社が持っているクラブチームで、Saraburiという県名が入ってますがバンコクにあるチームです。

練習はBG Pathum Unitedのスタジアムに近いSai Maiというところで練習をしていて、Bangkapi付近に住んでいる選手は会社からロットゥで送迎してくれます。アカデミー生とブラジル人選手の3人は練習場の前にある家に住んでいました。

練習が終わるとロットゥが出発する前にメー(お母さん)のお店で夕飯を買ってから帰っていました。

2021-22シーズンが始まる前はしばらくチームが見つからなかったので、ここの練習場を借りてトレーニングをさせてもらっていました。メーもピーサーオ(お姉さん)も元気!
名前も覚えててくれて嬉しかったな。

ホームでの試合の時は、試合前日にバスで2時間半かけてSaraburiに移動し、翌日そこで試合を行いバンコクに戻って来ます。

当時はまだコンプレッションウェアパンツや靴下、
ソックス留めのテープの色などの規定はなく違う色でも着用可能でした。


2011年、タイ1年目、初海外生活

タイでの最初のシーズンはリーグ戦33試合に出場して3得点3アシストだったかな。日本ではシーズンを通して出場することはできなかったんですが、ここでは怪我もなく累積で1試合出れなかっただけでした。

Thai Premier League All Starに選んで頂き、Chelseaと試合をする事ができました。
ジョン・テリー、ランパード、ドログバなど選手たちの大きさと厚みは想像以上でした。ボールを持った時に囲まれると逃げ場ないなと思ったし、相手が崩しに入るときのギアの上がり方とプレーの正確さは本当にすごかったです。

試合後にテリーと。ユニ交換してと言ったらセレモニーがあるから後でねと言われて…終わったと思ったけど、ちゃんとくれました。今でも大切にしてます。


また、この年は東日本大震災、そしてタイではリーグが中断するほどの大規模な洪水がありタイと日本でチャリティー活動を行いました。

タイではOsotspaに協力をお願いして製作したTシャツを販売してもらい、
売上金の一部をタイと日本の復興のために寄付しました。
またMuangthong United戦のホームゲームの売り上げを全額寄付
(タイ大洪水の復興支援)してくれることにもなりました。この試合は5-1で勝ち、僕のアシストから
先制点が生まれました。
日本でも多くの方にご協力頂きTシャツを販売させて頂きました。
またチャリティーフットサル大会を開き多くの方が参加してくれました。
みなさん本当にありがとうございました。

この時、中田 英寿さんは世界各国でチャリティーマッチを行う中でタイにも来て頂き、タイでプレーする日本人選手 vs タイレジェンドで試合をしました。

初めての海外生活でしたが、大変だと思うことはそれほどありませんでした。日本でいろいろ拘ってやっていましたが、違いを理解し受け入れながら生活していました。もちろん失敗もあったけど、そこで引きずるのではなく次に繋げていくことの大切さやどんな時でも前向きにやっていれば仲間が集まってきてくれることを学びました。またタイ人からはコミュニケーションを学びチーム内外でいい関係を築くことができました。
本当にたくさんの方に協力して頂いたお陰で大きなことも達成する事ができたし、選手としても人としても素晴らしい経験をした一年でした。


おまけ
北九州を出る時に手相占いをしてもらいました。人生初占い。2011年はすごく活躍する年になる…的な事を言われたので、本当にその通りになった年でした。笑

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