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2019/06/18 yutori (B面:Qrymy)

「若月くん、コーポレートサイトを頼めないかな。」

片石さんとは別に長い付き合いでも何でもなく、下北沢の焼き鳥屋で一回、中目黒の民家みたいな飲み屋で一回、だらだらと話していただけだった。

自分で言うのもなんだが、彼とは根本的に通ずるものがあるような気がした。彼は愚直に、本当に愚直に自分らしさを求めて生きているように見える。
そのアウトプットの手段が、スタートアップという箱であるだけで、本当はバンドだろうと、あるいはアーティストだろうと、なんでも良いように思えた。

彼との会話は、恋愛の話だったり、音楽の話だったり、服の話だったり、時々自分がどうあるべきかみたいな話はあるものの、大学生のそれと変わらない。
彼は神聖かまってちゃんを聴くといい、僕は初めて神聖かまってちゃんを聴くことを公言する年上に会った。彼と会ってからしばらく、僕は「夕暮れメモライザ」を文字通り擦り切れるくらいリピートした。

これはあくまでゆとり社のリリースであり、僕の話をする場ではないので、端折る。
完結に言えば、僕はひどく精神を病んでいてなんでも良いから手を動かしたかった。だから、ゆとり社を含め数件の案件を受託し、家に籠もって開発した。どのアウトプットも満足の行く出来であり、それぞれの楽しさがそこにあった。
それでも僕にとってゆとり社の案件は非常に好奇心を刺激するものであった。

僕はデザイナとして、エンジニアとして大して優秀なわけではないと思う。
もっと優美で機能的なデザインを出来るデザイナは市場に溢れているし、開発だってそうだ。
僕に特別な能力があるとすれば、言語化の難しい「なんとなくいいよね!」というイメージを、デザインから開発まで通してアウトプットできることだと思っている。ゆとり社が僕にこの難しい案件を依頼してくれたのも、ひとえにその能力を買ってくれたからであろう。

長くなったが、本題に移ろう。

僕は恵比寿のスターバックスにいて、たしか4月の半ばくらいだったと記憶している。「心希」と書いて「しんき」と読む、変わった名前の男とのミーティングだった。
彼はコミュニケーションの天才だった。率直に言うならば、片石さんから投げられるボールはいつだって抽象的で不完全だ。彼の頭の中にあるイメージを、すごく未成熟な状態で僕らに投げる。
そのやりとりはひどく具体性に欠けていて、そこから手を動かしてアウトプットをつくる身としては苦労したものだ。それでも、心希さんはそのボールをどうにかキャッチして、綺麗にまとめ、それを僕に渡してくれる。
このリブランディングの完結は、彼の能力無しには実現しなかったのではないか。

ミーティングを重ねて、既存のウェブサイトのボイラープレートでは、ゆとりの世界観を画面の向こう側に伝えることは困難を極めるということが判った。綺麗なフォント、綺麗なレイアウト、初見でサイトの構造と、伝えるべき情報を掌握することのできる、ありふれたウェブサイトでは、ゆとりの混沌を表現することは出来ない。

この時点で、このプロジェクトがいかに難解で、前例のないものなのかということを理解した。UI/UX、開発を担当する者として、あらゆる技術や表現を利用し、この世界観を表す努力を重ねた。

x軸、y軸の一般的なスクロール方向を無視した、タイムマシン的な奥行きを感じさせる全画面アニメーション。その「空間」に散りばめられた不可思議な動きをする奇妙なタッチのアイコン。それぞれの「ゆとりらしさ」は心希さんのクリエーティブによるものだ。
僕はウェブサイト上を空間として、いかに「ゆとりらしさ」を追求できるか、それが僕の責務だった。

この案件において、デザインファイルはすぐに捨てることにした。変更の多さ、アニメーションが多いことによる実装してみないとわからない感があるからだ。
心希さん、時には片石さんとミーティングを重ねながら、コーポレート・サイトとしては異例の変更回数だった。

そして出来上がったのが、このウェブサイトだ。

未だかつて見たことのない独特なレイアウト、明らかに過多なアニメーション、独自フォントの採用。実装難易度は高かった。持てる技術をふんだんに使い、あらゆるデバイスで無理のないレイアウト、表示速度を実現した。

「なぜゆとりという会社は、単なるコーポレートサイトにこれほどの心血を注ぐのか?」

僕はその答が、ゆとり社に関わってからよく分かった。
彼らは内なる不完全な何かを、社会に向けてあらゆる方法で表現することに挑戦しているのだ。果たして次なるゆとりの表現は何であろうか。僕はそれが楽しみでたまらないし、また何かの機会に関われたら本当に嬉しいと思っている。

UI/UX Designer / Engineer  Qrymy

「洋服が好き」という気持ちで、好きな人と好きなことをやっています。