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2022年12月かたりのヴぁ「おいしいごはんを食べること」

■日時12月12日(月) 昼 10:30~12:00 
■場所:ちまた公民館
■テーマ:おいしいごはんを食べること
■進行役:塚本 千花(クリエイティブサポートレッツ)
■参加者数:6名

こんにちは、新人スタッフの塚本です。
かたりのヴぁ、初めての担当回でした。が、進行役とは名ばかりで、皆と同じように、話を聴いたり聴いてもらったりしただけでした……。来てくれたみなさん、ありがとう。とても心地よい時間を過ごしました。
記録のようなものを、簡単に書きます。

穏やかな日差しが差し込む、月曜の朝でした。
各々、みかんや朝食を食べながら、ぽつぽつと語らいがスタート。

オンラインで参加してくれたひともいました。

今回のテーマについて。
わたしは好き嫌いもないし、ごはんを食べることが大好きなのだけれど、心理的なストレスから全然食事ができない、という経験をしたことがある。ごはんがおいしく食べられることは、物理的に豊かであったとしても、決して当たり前ではないのだなと知った。

今は、ヘルパーとして、誰かのごはんを作ったり、食事をアシストすることがある。例を挙げると、我らがレッツメンバーの壮さん。彼は「おいしい」とか「まずい」とか言わない。食事を楽しんでいるのかどうかも、こちらの主観でしか分からない。

願わくば誰しもが、おいしいごはんが食べれたらよい。
けれど、そもそも「おいしいごはん」って何だろう?
常々考えているそんな疑問を、この機会に投じてみたのだけれど、思いがけず、そのひとの生き方そのものを考えるような言葉やエピソードがぽろぽろ溢れました。

5,000円のディナーよりも500円のカップ麺のほうがおいしく感じる。テレビを見ながら食べると味がしない。勉強しながらごはんを食べるとおいしい。誰と食べるか、どこで食べるか。毎日のささやかな楽しみ、60円の珈琲の味。料理教室のおばちゃんによるお節介。「おいしいごはんを食べること」が暴力になり得ること。ひとりで食べるからこそ、おいしく感じることもある。孤独である自由もくれよ。海外での生活経験に基づく、食べものと土地との関わり。まずいごはんの幸福な記憶。

おいしいごはんが何たるかは、人によって異なるのだ。かたりのヴぁで皆の言葉を聴き、こうして書きながら思い起こしてみると、ごはんをおいしく食べることは、自分を大切にすることなのだなあ、としみじみ思いました。

さて、あなたは、おいしいごはん、食べていますか?

(余談ですが、このテーマで語らうのだと人に言いふらしていたら、当日参加はできないが、こんなテキストがあるよとシェアしてもらったものがあるので、ここに掲載しておきます。)

▼ココルームの「みんなでまかないご飯」について
https://note.com/cocoroom/n/nc1e24c470250

▼高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(※「好書好日」のサイトに飛びます)
https://book.asahi.com/article/14716578#:~:text=%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E4%BD%9C%E3%80%8E%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%94%E3%81%AF%E3%82%93,%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%8A%BC%E5%B0%BE%E3%80%82

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