見出し画像

【きくこと】 第2回 水島七恵(編集者)人の話を聴くということ


水島七恵

水島七恵
あらゆる人の営みを観察しながら、そこから立ち上がってくる問いや眼差しをもとに、媒体問わず、企画・ディレクション・編集・執筆などを行う。

近年の主な仕事に、JAXA機関紙「JAXA's」(発行:宇宙航空研究開発機構)77号からの編集ディレクション・執筆(2019年〜)、フリー冊子「tempo」(発行:富士通株式会社ソーシャルデザイン事業本部)の企画・編集ディレクション・執筆(2020年〜)など。

 2020年、長田佳子(菓子研究家)、塩川いづみ(イラストレーター)とのプロジェクト「腑」が、トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)によるOPEN SITE 2019-2020 教育普及プログラムに選出される。

根っこには、音楽があるんです。

染谷 2人目にお迎えするのは、編集者の水島七惠さんです。水島さんは、さまざまな企業・団体媒体の編集やディレクションを手掛けられていますが、その本質が今回のプロジェクトが目指すものに近いと感じます。これまでのお仕事について伺いながら、プロジェクトの方向性を見定める時間にできたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

水島七恵(以下、水島) 編集者の水島と申します。よろしくお願いいたします。

このあと曽我大穂さんも出演されるということで、今回のイベントは音楽も重要な要素になっていますね。実は私は音楽が大好きなんです。

バンドでベースを弾いていた経験もあり、大学時代にはレコード会社でアルバイトをしていました。そのなかで所属ミュージシャンのフリーペーパーに掲載するインタビュー記事を書いたことから、インタビューや執筆って楽しいんだな、と思うようになって。卒業後はある音楽雑誌の編集部に就職する予定でした。それが、ある日書店でデザインアート誌「Plus 81(+81)」を目にした瞬間、雷に打たれたように「あ、私はやっぱり音楽じゃない」と気づいてしまって。そこからなぜかアート系の雑誌社に就職し、2、3年編集技術を磨いたあと、フリーになって今に至るという感じです。というわけで、私の根底には音楽があるんです。パンクが好きで……。

染谷 じゃあ我々と一緒ですね。

廣木 ザ・クラッシュとか、フガジとか。

水島 ああ、まさに! どの仕事をするときも、そこが自分のアイデンティティになっています。

染谷 ぼくもジョー・ストラマーのPunk is an attitude, not styleという言葉は仕事をするとき大事にしています。

水島 よくわかります。お2人と同じで、私自身の根っこにもパンクやハードコアの精神がつねにあって、音楽を通じて感じた美意識や美しい景色を、自分が手がけるあらゆる媒体に自然と反映させている気がします。

「JAXA’s」「tempo」、そして「INSIDE OUT」

水島 まずは、最近継続してやらせていただいているメディアを3つご紹介したいと思います。

1つ目は国立研究開発法人宇宙研究開発機構(JAXA)の機関誌「JAXA's」です。リニューアル号の77号からディレクションと編集、執筆を担当させていただいています。

超文系で、数学の苦手な私が、なぜJAXAなのかと思いますよね。私自身、JAXA広報部の方から「はじめまして。宇宙はお好きですか。ご関心があればコンペに参加していただけませんか」というメールをいただいたときは、すごく驚きました。それまでJAXAのプロジェクト内容を国の各省庁に伝えるツールとして発行していた機関誌を、より一般の人、しかも20〜30代の方々に開いた媒体にしようということで、コンペが行われたんです。無事コンペに通り、コンセプトのご提案から実際の運用までを担当して、3年目になります。

JAXAのホームページに2005年の創刊号から最新号までがPDFで公開されていますので、よろしければぜひリニューアル前後を見比べていただけたら。

2つ目は、富士通株式会社ソーシャルデザイン事業本部が出しているフリー冊子「tempo」です。実はこれはJAXAのお仕事がご縁で始まったプロジェクトです。この事業本部の方がJAXAともお仕事をされていたことから「JAXA’s」をご覧になり、「こういうものをソーシャルデザイン事業本部でも作れないか」ということでご連絡をいただきました。

染谷 ぼくが今回水島さんにお声がけをしたのは、この「tempo」を読んだのがきっかけです。「これはすごいぞ」と感動して奥付を見たら、水島さんという方が作られていることがわかり、ご連絡しました。すごく広がりのある媒体ですよね。

水島 「tempo」は3号まで出ているのですが、富士通の担当の女性と私の2人で、文字通りゼロから作り上げた感があります。配布先も私と彼女とで開拓しました。最近では「うちにも置きたい」とご連絡くださるところが増えてきて、かなりたくさんのお店や施設で配布していただけるようになりました。

3つ目の媒体は、山口情報芸術センター(YCAM)からの依頼で作成した「INSIDE OUT」というフリーペーパーです。YCAMは磯崎新さん設計の、まさに今日話題に出ていた図書館と劇場とアートセンターが入った複合施設です。山口県央連携都市圏域で開催される「山口夢回廊博覧会」の一環として、YCAMがアーティストの坂本龍一さんと高谷史郎さんと一緒に作った作品を、YCAMとYCAMサテライトA、雪舟庭で知られる常栄寺というお寺の3箇所で展示することになり、それに合わせてまちと作品をつなぐメディアがほしいということで、まずは1号を作成しました。今、それに続く2号目を作っているところです。

染谷 「tempo」は函入りなんですね。これはいいなあ。

水島 はい。3冊をスリーブに入れて、1つの時間軸に閉じ込めました。スリーブがあると、物語をいったん終えたという感じがしますよね。

染谷 3つがまとまっていることで、また違う意味を持ってくるのですね。
「JAXA’s」にしても「tempo」にしても、水島さんがコンセプトから誰に出てもらうかまで、すべて決めていくのですか。

水島 決定については一緒に作る発行元の方々と行いますが、提案は私からすることが多いですね。

染谷 取材対象の方の登場の仕方が予定調和じゃないというか、「tempo」の場合にはとくに毎号のコンセプトに沿ってその方の持っているものを引き出している感じが、読んでいてすごくおもしろいんですよね。人選も多彩ですし、聞き方も印象的です。

ぼくらの今回のプロジェクトでも、多様な方たちにお話を聞いていこうと思っているし、こういうふうに手に取れる形になるといいなと夢想しているので、水島さんのお仕事の仕方にとても興味があります。事前の準備はどれくらいされているのですか。

水島 媒体によって違います。「JAXA’s」の場合は年4回、JAXAが希望するタイミングで刊行するので、締め切りがシビアです。「tempo」は手探りでの立ち上げだったこともあり、こちらのやり方を尊重してくださっていて、おおよその発行頻度は決まっていますが、そこまでかっちりはしていない。立案から発行まで半年くらいかかっていますね。2号以降も1冊につき6、7ヶ月はかかっています。

情緒と論理のあいだで

廣木 取材対象者は、皆さん知り合いというわけじゃないんですよね。

水島 面識のある方もいますし、初めての方もいます。私は普段雑誌の仕事もしているのですが、「tempo」の取材は質問の仕方が違いますね。雑誌では、たとえば映画の記事であれば「この作品について聞かせてください」など、問いの意図が明確ですが、「tempo」の取材では「あなたのtempoについて聞きたい」とか「あなたの塩梅について聞かせてください」と、質問がすごく抽象的なんです。取材を受けるほうとしては、答えるメリットがどこにあるのか、考えてしまうこともあると思います。そこをどう超えていくか。編集者にとってラブレターでもある企画書を書くときには、こちらのやりたいことと相手の利益をどう塩梅するか、いつも悩みます。

染谷 ぼくも今回のイベントにお声がけする企画書を作るのに、結構苦労しました。明確な問いがあるわけじゃないし、抽象度が高いけれど、おもしろがってもらえるのではないかという方にお声がけをしたつもりなのですが。

水島 企画書の書き方って、本当に難しいですよね。相手によってアプローチはまったく違う。決まりやメソッドは一切ありません。一対一の一騎討ちであり、真剣勝負。でもだからと言って、「私はあなたのことが大好きです」という情緒をストレートに伝えすぎると、それはそれで相手には負担になってしまう。ある意味での冷静さを挟み込む技術も必要です。

染谷 そうですね。一人ひとりお誘い文句は違う。でも、もし断っても負担にならないようにしたい。そのあたりの塩梅には、ぼくもすごく気を遣いました。

水島 大事だと思います。相手には断る権利がある。そこをちゃんと尊重することで、バランスが保てる。

ディレクションの本質は引き算

染谷 お1人目の三浦さんは、外部の多様な専門家をコーディネートしていくマインドが強いとおっしゃっていたのですが、水島さんにも自分がプロジェクトをディレクション、先導しているという意識があるのでしょうか。

水島 編集者というのは、物事を調整する人ですが、実際にもっともやっているのは「つなぐこと」ではないかと思います。物事と物事をつなぐことで、見える景色を変化させるというか。
一つの媒体が、同意の連続にならないようにも気をつけています。意気投合するのが目に見えている関係よりは、お互いが拮抗していて少し摩擦が起きるくらいのほうがおもしろい。お互いを認め合って「そうですよね」でつながっていく会話は楽しいものですが、メディアでやるのは違う気がする。お互いの意見がどっちに転ぶかわからない、そういう緊張感のある人選をしたいと思っていますね。

廣木 それは、三浦さんが話されていた「バンド」に似ているかもしれませんね。メンバー間で個性がぶつかることもあれば、いつの間にかそのぶつかり合いで新しい形ができていくこともある……今日はこういう話が多いですね。

水島 他人に指示をして自分のビジョンを実現するというより、相手がどういう人かを知り、その人が最大限自らのパワーを出力できるような場を作って、むしろ自分は口数が少なくなるというのが最高のディレクションだと思うんです。相手を最大化するために、相手をよく観察し、必要なところだけちゃんと伝える。
編集者の仕事も然りです。1冊の冊子を作には、インタビュイー、カメラマン、ライター、デザイナーなど、たくさんの方にかかわっていただかなくてはならない。皆さんに才能を発揮してもらうためには、どんな言葉を発して何を言わないようにするか。そういう引き算のほうが、ディレクションの本質のような気がします。

染谷 いやー、耳が痛いですね。

水島 私もできていなくて、いつも失敗しては傷ついています。

染谷 それぞれの魅力や持てる力を最大化して出力するのがディレクションであるという解に辿り着いたのは、やはり経験を重ねられたからでしょうか。

水島 どうなんでしょう。何か特定の仕事がきっかけというよりは、仕事をしていく中で自然とそう考えるようになった気がします。

染谷 予定調和にならないようにするというお話も印象的でした。同意の連続って確かに広がらないし、閉じてしまいますよね。

水島 これは「tempo」のコンセプト作りにおける私の主観なのですが、富士通は日本を代表するテクノロジー企業です。中でもソーシャルデザイン事業本部は、最先端技術を担うとてもイノベーティブな感じのする部署。そういう部署のメディアを作るのですから、イノベーティブでソリッドなデザイナーを起用し、よい意味での「同意感」を得ることもできたと思います。でも私はそこにあえて情緒的な要素を入れたかった。ソリッドで人工的なイメージの企業の冊子を、有機的な体温を感じるデザインにすることで、従来とは違った景色が見えるのではないかと思ったんです。

染谷 よくわかります。ぼくらのプロジェクトも、既存の図書館好きの方向けにしようとすればできたのですが、水島さんのように摩擦を生み出し、いったん立ち止まる機会を作りたくて、業界外の方たちを取り込むことにした。いろんなところにぶつかりながら進んでいきたいという意識がありますね。

アートへのまなざしをまちに転用してみる

染谷 YCAMの冊子「INSIDE OUT」は、まちと作品をつなぐメディアということですが、それはどういうことなのでしょうか。

水島 YCAMという施設自体は、山口市の生活圏の中に建っていて、まちの風景の一つとして馴染んではいるのですが、メディアアートの先端技術に特化した施設としての本質は、生活者の方たちに完全には届いていないという課題がありました。今回、作品展示会場をYCAM内部だけでなくまちの中にも広げるということで、生活者の方たちによりダイレクトに作品が届くような、YCAM内部で完結していたアートへのまなざしをまちへとつなぐような媒体を作ってもらえないか、とキュレーターからお声がけをいただいたのが、「INSIDE OUT」制作のきっかけです。

アート鑑賞をするときのまなざしを、まちに転用してみたら、いつもの風景がちょっと変わって見えるなど、新たな可能性が生まれるのではないかと思いながら作っています。

染谷 アート作品を見るときの鑑賞態度を別のものに向けたときに、どんな変化が起きるか。何気ないまちの風景が、その視点を借りると違ったものに見える。その視点の転換を補足するメディアなのですね。

水島 はい。そういうものが作れたらと思っています。1号はシンプルに作品を見てもらうためのガイドブック的な内容になりましたが、制作中の2号では、今お伝えしたような概念が生かされる予定です。

染谷 今のお話は、今夏、ぼくらがTRCさんと一緒に栃木市で開催したイベント「Library Book Circus」にもつながると感じました。図書館の蔵書はNDC分類に従って並べられていますが、その分類をまちに転用したらどうなるかやってみようというコンセプトです。アート作品を見るまなざし、本を選ぶまなざしをまちへと拡げる——おもしろい試みですよね。

水島 私の主戦場は紙媒体ですが、「INSIDE OUT」の概念が紙を超えたところに広がっていったのが、個人的にはとてもうれしかったです。

YCAMでは「対話型鑑賞」という試みが行われていて、自ら応募した市民の方たちが作品の見方を勉強し、アートコミュニケーターとしてYCAM内はもちろん、まちの中にも拠点を持ち、活動をされています。かれらが「INSIDE OUT」の概念を独自に解釈し、かれら自身が作品を鑑賞したときに感じた「内側」と「外側」を、「うちそと新聞」というメディアにまとめて配布し始めたんです。

私たちが作った1つの概念が、冊子を手に取った人たちの間で転用され、かれらの活動の中で生きていく様が見られたのは、非常にうれしい体験でした。

染谷 「INSIDE OUT」とは、自分自身の内面と外側、YCAMの内部と外部という2つの構造を表した冊子名なんですね。

水島 そうですね。インサイドアウトとは「逆さま」とか「ひっくり返す」という意味です。目で見るモノの外側の風景と、それを見ることによって感じる内的な風景の2つがつながってほしいという思いを込めて、つけました。

染谷 アートコミュニケーターという考え方は、最近よくあるのでしょうか。

水島 どうなのでしょう。YCAMは少し特別かもしれません、というのも、通常の美術館の場合には学芸員が企画展を立ち上げたら、作品を外から招聘しますが、研究機関を内包するYCAMの場合、エンジニアやミュージアムエデュケーターも内部にいるんです。坂本龍一さんと高谷史郎さんの作品を実現するにはテクノロジーやコンピュータシステムが必要ですが、YCAMの技術者の方たちがそれらを作れちゃう。内部で作品制作までできるというのがYCAMの大きな特徴だと思います。それと同様に、アートコミュニケーターを要請する専門のエデュケーターも内部にいるんですよね。

染谷 YCAMはメディアアートに特化したアートセンターであり、研究機関でもあるから、作家がやりたいことを実現できるし、YCAMオリジナルのコンテンツを自前で作れるということなんですね。それはすごいな。しかも、内部で閉じてしまわず、まちにまで拡げていくために、水島さんが「INSIDE OUT」を手がけられていると。

水島 同じまちで暮らす生活者の方がYCAMで起きていることを自分事にする、そのきっかけを作ろうとしているのだと思います。

染谷 「うちそと新聞」を作っているアートコミュニケーターの方たちは、普段は別のお仕事をされているんですよね。

水島 はい。一般市民の方たちですから、普段はアートとは関係のないお仕事をされています。私が手がけた「INSIDE OUT」はきっかけにすぎず、皆さんが自発的にそれを解釈して活動につなげていらっしゃる。とても大きな気づきをいただきました。

本も図書館も、流れゆく日常の句読点

廣木 お話を聞いていると考えることがどんどん出てきて、頭の中がぐるぐるしているのですが。このプロジェクトのヒントにも、これからの図書館を考える上でのヒントにもなるアイデアがたくさんあったな、と。

編集って、その媒体で見せたいものを、多様な要素をうまく選んで組み合わせていくことですよね。それはすなわち、それぞれの要素の魅力を最大限発揮させる作業でもある。その考え方を、図書館のあり方自体に応用できないか、とか。

それに、そうした編集を経てできあがった冊子や本は、すごい熱量を持っている。でも図書館の棚に並べられたとき、来館者にどこまで本来の熱量を受け取ってもらえるのか。多くの中の1冊として埋もれることなく、作り手の熱意まで届けるにはどうすればいいのか。そんなことを、お話を伺いながらずっと考えていました。

水島 本とは、日常の句読点のようなものではないかと思います。時間は流れていくものですが、本を読むことでその流れに「、」や「。」がつく感じがある。図書館も、そういう生活の中の句読点のような存在なのではないでしょうか。

私はどんなに熱量をかけて作った本でも、究極的には大事に扱ってもらえなくてもいいと思っているところがあって。読み捨てられてしまうのも含めて本のありようだし、それはそれで役割を果たしていると思うんですよね。

でも、本棚が魅力的だとやっぱりうれしい。人に自宅の本棚を見られるのは、クローゼットを見られるより恥ずかしいけれど、そういう自分の内部を覗かれるような恥ずかしさもまた、本棚の魅力ですよね。

染谷 料理の場合、生産者がいて、輸送する人がいて、作る人がいて、提供してくれる人がいる。どれ一つ欠けてもダメですよね。廣木さんは、この媒体が棚に並んだとき、どうしたらその熱量込みで手に取ってもらえるのかを考えていらっしゃるのだと思います。図書館の場合、どうしても届け方に特徴を出しにくい部分がありますからね。

水島 熱量とか情緒の扱いって、すごく難しいですよね。冒頭にお話ししたように、私もいつも、情緒と論理の間で振り子のように揺れていて。伝えたい思いや熱をそのまま出してしまうと、究極的には嗚咽のようなものになってしまう可能性がある。泣いている自分をそのまま見せるのではなく、どう抑制しながら論理的に伝わる形にしていくか、いつもうろうろと悩んでいますね。

染谷 届ける側が、「この1冊はどうしても届けたい!」と、絞ったスタンスで臨むのか、それとも「どの本もあなたのどこかに刺さるものがありますよ」と、広く多様なものを用意しておくのか。図書館の役割は後者のほうなのかもしれません。

開いていて閉じている場所

水島 でも、個人的なことと普遍的なことが一致する場合というのも、ありますよね。図書館も、そこを模索できる存在なのではないかという気がします。公共的で、ある意味普遍性のある場所ですが、同時に個人の心の奥深くに刺さる場所でもある。その感覚を大事にしておくだけでも、見えてくることはあるんじゃないでしょうか。

染谷 広く開いていることと個人に閉じていること。この2つが両立できるバランスを、ぼくも探したいと思っています。今回のイベントも、ぼくらの個人的な趣向が入っていますが、深めていくとみんなに伝わる何かが見つかるのではないかと期待しているんです。

水島 そうですね、その感覚はとても大事だと思います。

染谷 広さと狭さをどう同居させるか。これは公共図書館という場所のあり方として、大きなテーマですね。

水島 どちらもが拮抗するありようが、きっとあると思うんです。図書館はそれができる、すごく魅力的な場所だと思います。

染谷 図書館って、みんながみんな同じ方向を向いている場所ではありませんよね。読んでいる本は一人ひとり違うし、来館の目的も違う。でも同じところに集まっている。これは意外と他にない図書館の強みかもしれません。

水島 一人ひとりが超個人的な時間を過ごしているのに、物理的にはみんなが一緒にいる。孤独を楽しみながら、孤独感が和らぐ、という2つの相反する感情を抱くことのできる幸せな場所ですよね。一人でいたいけど一人じゃない。図書館は、2つの時間を過ごせる場所だと思います。それに、図書館が持つ文脈や歴史って、やっぱり尊い。こういう時代に長い時間軸を持っているというのは尊いし、価値の高いことだと感じます。

染谷 水島さんのお話には、時間という言葉がよく出てきますね。

水島 ああ、それはJAXAのお仕事の影響が大きいかもしれません。宇宙に携わる科学者の方の時間感覚って、すごいんですよ。183億年前の宇宙誕生から1秒の何倍も短い時間までを扱っている。かれらの時間軸に触れたことで、私自身の時間への感覚も少し変わってきました。

一方、富士通が扱うテクノロジーの時間は、すごく速い。だからこそそうじゃない時間感覚を大事にしたいとおっしゃっていて。それもあって「tempo」は、紙という、富士通の扱わないベクトルでの遅いメディアになりました。大きなプロジェクトチームで作ればもっとスピーディーにできますが、そうじゃない時間軸を味わうことをコンセプトに据え、作るところから配布するところまでを2人で手掛けることにしました。そうした、「どの時間軸で過ごすか」という視点で作っていくというのも、新しいものの見方や作り方につながるかもしれませんね。

廣木 ちなみに「tempo」は図書館には寄贈されていますか?

水島 寄贈している図書館は1軒あります。富士通もJAXAも、図書館の価値はすごく感じていらっしゃるので、置いていただけるととても喜ばれると思います。作り手としては、出会ってほしい場所ってあるんですよね。この本にはこの場所で出会ってほしい、図書館はその一つです。

でもだからと言って作り手に気を遣う必要はありません。フリーペーパーラックに置くのか、棚差しするのか。展開の仕方は、司書の方の主観でぜひ突っ走ってほしい。それを体験するのもまた楽しみなんです。

2021年11月30日収録

この記事が参加している募集

編集の仕事