なぜ有名人は政府に反発ばかりするのか

有名人がなぜ政治的発言すると炎上しやすいのかを先に書いたが、似たような発言は、2chのにしむら氏なども言うたようで。ようは、目立ちたいのもあるのだろうと。

もう少し今日は深い分析をしてみる。それは、今回に限らず、政府のすることに反対の表明をするひとは多いけれど、擁護したり賛同する声はほとんど見受けられない。それは何故なのか。単に目立たない、というわけではない。芸能事務所から離れただのはその一面に過ぎない。


① 政治というのは暴力であることを本能的に知っている。

マックスウェーバーの「職業としての政治」を読んだ方にはわかりやすいかと思うが、要するに政治とは権力を行使することである。警察も検察も予算執行もそうだ。それは時として暴力である。
ところが、有名になるということは良くも悪くも「権力」を持つ。これは必ずしも政治的に色合いを帯びるというわけではなく、ファッションが広まったり、歌がみんなの間で流行ったりする。これもある意味「権力」である。流行ったファッションは、他のものを「時代遅れ」「ダサい」として駆逐していく。これもある意味暴力である。流行の大元の人が願う願わないとは別に、何かを蹴落とすことでその人の「権力」が高まるのである。
政治に対して「すり寄る」行為は、自分自身の持つ権力と相乗効果を発揮することはなく、むしろ今まで「蹴落としてきた」ことを否定するような行為である。『御用芸人』などと言われることは、自分自身が本能的に最も嫌うことである。また、自分自身の権力にはっきりと「暴力」の色彩を帯びてしまうことを本能的に感じているのかもしれない。御用芸人と批判されることよりも、その危険性を感じて心理的に嫌悪している。


② 反発する自分に酔いやすい

①と違う側面から、自分の持つ「権力」を守りたい心理がこういう行為に現れる。何か大きなものにすり寄るより、反発して跳ね返すほうがヒーローとして扱われる。少なくともTVなどの世界では。その姿に自分もあこがれている。なので、状況を理解して正しい判断をしようとしても、まず「反発したい」という欲望が抑えきれない。先入観を持って判断することは危険である(最も多くの人がそれは難しいのだが)。


③ 政治を知らない自分と思われたくない

②に近いが、有名人であってもいろいろなことはもちろん勉強するし、考える。しかし、法案などに対して「賛成」というより「反対」というほうが、政治にかかわっていると思いこむ人が多い(これは有名人に限らないが)。賛成は「何も考えていないで流されているだけ」と言われることが多い。これは有名人の「権力」にとっては非常に厳しい意見である。「権力」を築いてきた人であればあるほど『私は努力してきた』という自負がある。そのためにも、世の様々なことも自分は何か言うべき立場にあると考えている。なので、賛成と思う案件には沈黙し、反対と思う案件には強く声を上げるのだ。


法案に限らず、どんなことでも賛否はある。100点満点の法案や政治はあり得ない。スウェーデンでもアメリカでも、100点の国家ではない。日本もそうだ。なので、「反対」という声を上げるだけでは、「有名人が政治を語ることをどんどんするべき」ということにはならない。物事を多面的にとらえて判断する、その議論をしっかり行いながら「自身の判断」をする、という姿勢が必用で、本来有名な人はこの手順を外してしまっては、アンチファンの急増と、CM離れという「権力の喪失」を生むことになる。そういう意味では、検察官云々のこのトレンドは多くの有名人にとって逆効果である。

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