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まちづくりにおける一貫性はなぜ保たれないのか

今日も県の依頼でとあるエリアのまちづくり活動を視察してきた。大都市から電車で1時間半(快速ならもう少し早い)、中心市街地はほぼ空洞化しているが、子育て世帯なら環境もよく家賃も安くそして同世代の若い人がある程度いる(ここ重要)エリアである。

そのエリアでは、市運営の認定こども園の跡施設で行われているママたちの交流ネットワークが非常に良い活動をして、ママ同士助け合い、ストレスを解消し、地域とうまくつながるための活動をされていた。施設は市から借りている形になるが、運営は自主的に行われている活動であった(厚生労働省の地域支援事業の補助金を活用)。施設の横には森があり、その中を整備して子どもの教育・親子の学び場として活用しようという計画も進んでいた。

しかし、その森の活用について、管理している地域の協議会や自治会がいまいち参画してくれないという悩みがあった。

それは、この事業者の責任ではなく、その市行政の責任である。

その森はそこまで広くない。せいぜい高校の校庭より広いくらいだ。しかしその所有者は40人以上に細分化されているという。しかもほとんどが連絡がつかないらしい。そのため地域の協議会が半ば預かるような形で管理していた。

もともと市は、認定こども園の横に存在している森なので、その森を整備し、子供の教育の森として活用し、子育て世代が住みやすい街として都会にアピールして移住者を増やすという狙いがあった。それならばと地域協議会も協力してその森の管理を引き受ける気になって、整備を承認したのだが、、、


その認定こども園が、拡張するという名目で地域外へ移転してしまった。

そのため、地域の協議会や自治会からしてみれば、はしごを外された感になるのは当然だろう。施設の跡は前述のままさんネットワークの活動拠点となり、未就学児童時とママさんが過ごせる場所となり、時にはパパも来て森で遊ぶ、、、ということもできるのではあるが、協議会としてこの活動をまた改めて支援しようという気に素直にならないことは当然だといえよう(まあ、このままさんネットワークの方々はしっかりしているのでいずれそれなりに活動がうまく進むとは思うが)。


行政のまちづくりでこういった一貫性に欠けるようなことが起こるのは日常茶飯事ではある。それまで担当部局が根回しに根回しを重ねて行ってきたことが平気で覆る。それは、市長が選挙で変わって「前政権のすべてを否定するために」覆すことや、首長の勘違いや思い付きで覆ることもあるし、単に「なんとなく一面的なデータしか見ないで」行ってしまうこともある。今回紹介した事例は後者の方だが、前者の場合はもう最悪である。もちろん過度な開発を止めるなどのことで覆ることはありうるが、下交渉を重ねてきたのにトップの意向がそれを捻じ曲げてしまい、問題を泥沼化させてしまう。

以前大きなニュースとなった奈良市の火葬場建設訴訟だが、これとてここまで至った経緯としては、そもそも奈良市仲川市長の政策的ブレがある。

https://nishikawaseigo.info/?p=1125

上記ブログには簡潔に書いてあるが、もともと火葬場移転については前市長がとある場所へ移転するという計画を立てたものの、仲川市長になって、別の場所への移転をぶち上げ、そこで反対運動にあったために結局前市長案に、、、という経緯もある(本当はもっといろいろ無茶苦茶なことがあったらしいがここでは省く)。

いわゆるNIMBY問題は多くのエリアで起こるが、これを進めるには、粘り強くその土地の地域協議会や自治体はじめ市民町民と話をしなければならない。それがまとまり始めていた時に何か計画を変更すると、それまで協力的であった人の心は大きく離れてしまう。

今回訪問した子どもの森計画も、すぐそばには住居もあるし、騒音を気にする住民だってなくはないはずだ。


まちづくりの進め方については多くの時間と困難が伴う。だからこそ自治体、とくに首長については、計画変更するときは慎重になってほしいものである。


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