超絶個人的感覚がんばらない

先日、舞踏のオンラインWSを受講しましたが(その話はまた別途)
いっちばん最初に言われたことは

「頑張らない」

という事でした。
「頑張らない」!

今、もう本当に色んな場所で「頑張らない」って言葉って言われているじゃないですか。
「頑張らない」に二本足が生えて独りでウッキウキしながら歩いてるじゃないですか。
そのうち、流行語大賞になりそうな勢いじゃないですか。
年末に清水寺の住職さまが筆で書きそうじゃないですか。
でも、多分、そういう巷で言われているのとは似ていてちょっと違う感覚があります。
重なるところもあるけれど、違う所が多いと言いますか・・・。

しかし、
「頑張らないほうがいい」なんてうっかり言葉にしちゃうと
頑張って頑張って努力して何かを得てきたり積み重ねてきた方々は必ずこう言います。

「いやいや、少しは頑張ろうよ」

頑張るの定義そのものが人それぞれ違うので
なんとも言い難いです。。
でも、あくまで私はやっぱり「頑張らない」がいいんだなと、WSを受けながら思いました。

頑張らないって何もしないってことではないんじゃないかな。
人って放っておいても「頑張っちゃう生き物」だと思うのです。
だってやっぱりどうしたって、何かを目指したり何かを得たりしたいじゃないですか。
「そのために」頑張るしかないって思ってるじゃないですか。
自動的に頑張ろうとしちゃうじゃないですか。
食っちゃ寝してたって、数日経ったら頑張って何かするじゃないですか。

だから安心して「頑張らなくていい」と思うんです。
なんのこっちゃ。
言葉での説明はしないことにしますが。

それから「頑張らない」という言葉に対して「引き籠ってたり怠けたり行動しないヤツは頑張ってないじゃん」と言われるかもしれないけれど、
そんなことないと思うんですよね。

「は???」という言葉があちこちから聞こえました(笑)
は?と思った人は、自分の価値観での頑張るについてとか
自分がなんで「は?」ってなったかの奥の奥を見つめてみたらいいんじゃないかなぁと思います。

でも、
別に「頑張らない」が正しいわけでもないです。

そしてやっぱりこれ以上は言葉にしませんできません。
こういう自分の感覚を言葉にできたらいいって長い間思っていろいろ書いてきたけれど、ここ最近はもう無理なんじゃないかと思ってきていて
今回WSを受けてみて完全にそう思えました。
言葉にする力が私にはないし、そもそも必要もないんだな、と。

頑張らないという確信は
私自身が私の感覚で超絶個人的にやることなのです。
言葉にして具体的にしてわかろうとしなくたって、もういいのかも。
誰かにわかってもらわなくていいのだし。
わたし茸がどんどんのびてまいりましたよ。

余談
頑張るはタイトルだけ平仮名にしましたが。
漢字、すごいですね。
頑なに張っちゃうんです。
ものすごくかたそうです。
ゆるく、いきたいんです、私は。


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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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